時々、ネットで「ゴールデンカムイ」という漫画について語られているのを見てました。
で、この本を買って来て、コミックも2巻まで読みました。
中川裕さんは「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修をやってはります。
しかし漫画を描いてはる野田サトルさんもすごく取材、勉強してはるのだ、ということがよくわかります。
で、中川さんがあとがきにスタンスを書いてはります。
「アイヌ文化で読み解く『ゴールデンカムイ』」であって
「『ゴールデンカムイ』で学ぶアイヌ文化」ではない、と。
「『ゴールデンカムイ』で学ぶアイヌ文化」ではない、と。
なるほど、あくまでフィクションであり、細かいところはわからないところもあるし、ということで、中川さんの知っておられるアイヌ文化で「ゴールデンカムイ」を読み解いていくという方向なんだ、と。
アイヌは言葉の力を信じている人たちで、争いごともも言葉で解決しようとする、チャランケという話がありました。例えば2つのコタン(村)が争いになると代表のAさんとBさんが出てくる。
そしてまずAさんが朗々と節をつけて主張する。その間、Bさんはひたすら聞いている。Aさんが喋り終えると、次にBさんが主張する。これを繰り返していき、どちらかがそれ以上言うことがなくなるか、体力が尽きて朗々と主張することができなくなると負け。
しかし・・・それって、才能と体力勝負ということで、「正しい」「正しくない」とは関係無いような・・・
じゃあ、アイヌの人たちって武力を使わない平和的な人たちかと言うと・・・
トパットゥミという戦いが物語にはよく出てくるそう。これは襲う側がひそかに相手の村の近くまで行き、相手が寝入ったところで夜陰に乗じて一斉攻撃し、赤ん坊に至るまで皆殺しにする、というもの。で、その時はいっさい言葉を交わさないと。
(もちろん、だから野蛮だ、と言いたいわけではありません。日本だってそんなことがそこかしこであり、法然上人は、夜襲をかけられ一族郎党が殺されるのだけれど、「復讐しようなどとは思うな」という父上の言葉とともに比叡山に送られたのだから)
またシャクシャインの戦いは、アイヌ民族対松前藩の戦いだと思っていました。最終的にはそうなるし、それ以前に松前藩からの圧力があってアイヌ民族同士のいがみ合いが起きたのだけど、シャクシャインに反対する勢力が松前藩に援護を求めた(断られたのだが)のがきっかけにはなっている。
なおアイヌ語は、2009年にユネスコが「消滅の危機にある言語・方言」で「極めて深刻」と報告しましたが、著者はそれでも甘い、と感じたと。言語学的には「死語」と言ってもいいと。
しかし、いったん母語話者がほとんど無くなったハワイ語が現在復興運動が進められ、成果を上げているので、アイヌ語もそうなれるのではないか、と考えておられると。
アイヌ語も日本語も「孤立語」であり、違いは話者数の数だけである、と。
なるほどです。