東畑さんは京大出身。で、最初の指導教官が山中康裕さん(もう破門されているかもしれないが、ってことですが)。ってことはどういう流派かというのはイメージできます。
なお、山中さんは2000年を過ぎてからのご著書で「自閉症はカウセリングで治る」と書いてはったのを見て、私は「もうカウンセリングと題名にある本は買わないでおこう」と決意した思い出があります。
また私自身、1980年頃からカウンセリングの学習と体験を続けていました。一応「終結」していたのですが、その後1998年頃かな、師匠と町であれこれ議論していて、
師匠「それでは自閉症は治らんぞ」
私 「治らなくていいんです」
私 「治らなくていいんです」
という会話をした瞬間、「あっ、終わった」と実感できました。
まあ、カウンセラーというのは公的資格はなく(臨床心理士も民間資格)、先日やっと「公認心理士」という国家資格ができました。私は「日本カウンセリング協会」という民間団体で勉強していましたが、ある意味、師匠も「野の医者」みたいな立場だったと言ってもいいでしょう。
東畑さんは、臨床心理学と沖縄に多い野の医者(ユタのところにも行かれていますが、ユタよりも、著書内のX氏や北海道から沖縄のえらいさんたちに請われてやって来られた方たちから急激に広がった流れに興味が大きそう)との異同はどこにあるのか、という興味から関与観察されました。
なお、ある大学教授が日本の臨床心理士のことを意味としては
「精神分析もどきのユンギアンフレーヴァー溢れるロジェリアン」
と形容しはったそうですが、私は「精神分析もどき」はたぶんないけど「ユンギアンフレーヴァー溢れるロジェリアン」というあたりは一生懸命勉強してるころの私にも当てはまるな。
野の医者が「傷ついた治療者モデル」であるというのは予想はついていたけれど、「傷つきから癒された」つまり「もう癒されなくていい」人ではなく「治療することで癒され続ける必要のある人(大意)」というのは面白かったです。
なお、「野の医者」の使ってはるのは、ポップ心理学(自己啓発セミナーとかもここから出てきてるって。基本的にポジティブシンキングをさせようとするもの)というものになるそう。しかし根っこはロジャーズなんかも含んだ人間性心理学から出てきてると思ってたし、まあ兄弟と言ってもいいようなもんかもしれない。
また「生計をたてるシステム」としては、セッションそのものではなく、
「癒されたと思う人がもっと学びたい、他人を癒したいと思う」時にスクールを開き、そのスクール収入で一部の人は生計を立てると。
もちろん生計をそれで立てられる人はごく少数で、たいていの人は別の手段で稼ぎつつやっている。
しかし・・・これって、家元制度もだし、多くの普通の学校だってそういうことかもしれない。
また最後にヒーリングのイベント(これが沖縄ではたくさんあるそう)で、アンケートをとった時、そのアンケートを見た方から東畑さんは
「まだ沖縄のことがわかっていませんね」
と言われてはります。それは収入欄。
東畑さんは首都圏で使われたアンケートを参考にして、収入(年収)の最下限を300万円未満にしてはりました。でも沖縄だったら200万円未満、100万円未満も作らないと、と。
なぜ沖縄に野の医者が多いのか、というのはここにつきるのかもしれないな、と思いました。
東畑さんもアカデミックポストにつこうとしてはって、「決まった」と思ったら実はそれが決まってなくて無職になった時期があり、その時にうつっぽくなられた、ということを書いてはりますし。(で、その手の話はよく聞きます。九州大学の放火自殺の事件もあったし・・・)
しかしポップ心理学と、認知行動療法、あるいは最近よく福祉業界で言われるリフレーミング(ネガティブなことも見方によってはポジティブに見える)とどう違うのかな、と思ったら、認知行動療法の解説には
「ここで注意すべきことは,患者の否定的思考(negative thinking)を肯定的・積極的思考(positive thinking)に転換することが重要ではない点です.認知療法は,ある状況をみる視点はいくつも存在すること,その中には患者の否定的思考よりも適応的(adaptive)・現実的(realistic)な視点が存在しうることを,患者が自覚できるように援助します.」
とありますね。
なお、私自身はカウンセリングの考え方そのものには否定的な思いはありません。