はじめての沖縄 岸政彦著
序章より
「ここ何十年かの、社会学や哲学や、現代思想と呼ばれる領域では、どちらかといえば、人びとのあいだにあまり線をはっきり引かないこと、そういう境界線を飛び越えたり、行ったり来たり、あるいは解体したり台無しにしてしまったりするような、個人の多様性や流動性や複雑性を強調することが多かったように思う。しかし私はあえて、ここではその境界線の「こちら側」にはっきりと立ち、境界線の向こう側を眺め、境界線とともに立ち、境界線について考えたいと思う」
こちら側は「やまと・日本」であり、あちら側は「うちなー、沖縄」だと思います。
で、実際、例えば「みんな違ってみんないい」と言いながら同調圧力が極端に強いのが日本(の兵庫県)に住む私の身の回りに見える世界だし・・・私の関わってきた特別支援教育の世界でも過去は
「脳性マヒの人を車イスを使わなくても歩けるように訓練する」
「自閉症の人を音声言語で指示通り動かせるように訓練する」
「自閉症の人を音声言語で指示通り動かせるように訓練する」
みたいなのが多くて、しかし私の身の回りでは目的を達せられないどころか、時間の無駄になるだけならまだしも、卒業後の暮らしのQOLの低下すら引き起こしてきていた、と思います。
まあ学習指導要領が「養護・訓練」から「自立活動」に変わって少しはましになったかな、とは思いますが、頭の中が訓練主義、指導主義の先生方はまだまだ多いかな。それでなければ「ほったらかし」・・・極端なのよ。
話を元にもどすと、以前は境界線の自分の方に寄せて「境界線なんかないよ。同じ人間やん」と言って無茶苦茶していた人が多かったと思います。
岸さんの、まず境界線があることを認めて、あれこれ考えていく、というのは大事なのとちゃうかな。
またこうも書かれます。
「だからこの本は、とても「めんどくさい」本になると思う。そんなこと考えなくてもいいのに、ということを考えて、それについて書く、という本になる」
ほんまね。
しかし、そのめんどくささってとても大事だと思う。
しかし、そのめんどくささってとても大事だと思う。
で、岸さんが
「(差別の)そのうちの、おそらくもっとも単純なものが、差別とは「一緒くたにすること」というものだ」
と書かれていて、ははあ、と思いました。
「境界線を引くから差別が起こる」と思っていたけれど、で、その通りではあるのだけど、多様性を無視してひとつの属性で線を引き「違い」を言い立てる、しかし違いもあれば同じもある、それを境界線の存在を認め自分の立ち位置を確認しながらあれこれ考えていく。
ほんまめんどくさいけどね。
岸さんは25歳の頃、初めて沖縄に行かれていわゆる「沖縄病」になられたそう。
しかし、本格的に研究の対象にしようと思われ少し違う、距離をとったスタンスになられたそうだけれど、ずっと沖縄の研究に携わってはる。
私は、今「沖縄病」の最中だけど、初めて訪れた時は散々な気持ちでした。それは沖縄のせいではなく、ウツでほぼネタキリ生活の中で「気分を変えたら」と妻に無理矢理連れて行かれ(いや別に責めてるんじゃなくて、私の主観としてはそうだったというだけ)、ホテルの部屋で寝ていたいのに、観光に行って・・・
でも首里城のそばの地元の人が行く喫茶店みたいなところで食べた「ソーキそば」が350円くらいでめちゃくちゃおいしかった(食事をおいしいと感じることも珍しい)ことは強く印象に残っています。
私の会社「合同会社KS」の私の部門「じんぶな〜」というのは、沖縄の森に住む賢人のことです。これは Twitter で知り合った、基地で働いている女性に教えて頂きました。
で、やっぱり機会があればまた行ってみたいな。
私などは表面的なところでしかつきあえないだろうけど。
私などは表面的なところでしかつきあえないだろうけど。