トッドさんはフランスでISによるテロが起こった時に「私はシャルリ」という運動が起きたのに対し、「シャルリとは誰か?」という問題提起をしてイスラム移民やマイノリティに対する差別への危険性を指摘されている。
本書が扱うのは2015年1月にパリで起きた『シャルリ・エブド』襲撃事件自体ではなく、事件後に行なわれた大規模デモの方です。「表現の自由」を掲げた「私はシャルリ」デモは、実は自己欺瞞的で無意識に排外主義的であることを、統計や地図を駆使して証明しています。
トッドさんは「歴史人口学」というのをやってるって。
「農村社会の家族構造によって近代以降の各社会のイデオロギーを説明できる」
ということを唱え
「共産主義革命(?)が起こったのは外婚制共同体家族の地域である」
という主張をしてはります。
それがロシア(ソ連)であり中国である、ってことね。
内婚と外婚ってのは、いとこ婚を認めるか認めないかみたいなこともある。
日本は認めるけれどドイツはいとこ婚はまず無いって。
しかし、じゃあ北朝鮮はどうなる・・・あっ、別に革命は起こってないか。
『家族システムの起源』で明かにしたこと。
西欧などユーラシア大陸の周縁部に存在する「核家族」システムが、家族構造としては実は最も原始的である一方で、この「原始的な家族構造」(核家族)が、むしろ近代的な変化や社会の進歩を促した、というパラドクスです。
ここで重要なのは、この「核家族」も、それぞれバラバラに存在するのではなく、ある大きな社会構造のなかに存在しているという点です。そして、これはいつの時代にも言えることです。
これはつまり支える社会構造、福祉システムが必要ということね。
そして
ここに、ネオリベラリズムの主張の根本的矛盾があります。個人の自立は公的・社会的援助制度、つまり今日の文脈で言えば国家を前提としているのに、そのことを理解していないのです。
ここでよくわからないのですが、ネオリベラリズムって新自由主義と同じような意味なのかな。
核家族というのは
@パパ、ママ、子ども
A独身者や独居老人
なのに、ネオリベラリズムはAの存在を否定し、Aを制度に組み入れないために、個人主義でありながら個人の自立をさまたげてしまっている、と。
家族に頼らなければいけないことで、「個人の自立」が妨げられてしまっている。
ははあ、なるほどなあ。