ユダヤ人 最後の楽園 大澤武男著
最後の楽園ってのは、ドイツのこと、だったんだろうな。
でハフナー氏も言っているように、大澤氏も、東欧では苦しい生活を強いられていたユダヤ人だったが、ドイツでは同化し、それなりの地位を得ていたので、排斥するような人たちがいても、自分たちがこれほどまで攻撃されるとは思いもしていなかった、ということを書いてはる。
その思いが裏切られていく日々だったわけ。
人口では1%だったが、ドイツのノーベル賞受賞者の33%はユダヤ人。
商人、金融業者として活躍していた。
政治家。
1923年から24年にかけてユダヤ人が政治の表舞台に立つことにより、批判も大きくなる。
憲法を作ったのはフーゴー・プロイス
1929年 イタリア、ムッソリーニがラテラノ条約締結
ローマ教皇庁がムッソリーニ政権下のイタリア王国と調印した政教条約
これを参考にヒトラーのナチスは教会の政権に対する政治的活動を封じ込めて行った
1932年頃 ドイツ人トーマス・マンはナチスが権力を取れるわけは無い、と反ナチの意見をどんどん表明し、反ナチの講演を各国でやっていた。そしてスイスで1933年を迎える。そしてもう自分がドイツに帰れないことを悟り、スイスに亡命した。
1933年3月23日 全権委任法
1933年4月1日 ユダヤ人ボイコット
ユダヤ人商店で買わない
ユダヤ人公務員をやめさせる
ユダヤ人弁護士の新規開業禁止
ユダヤ人医師が健康保険診療できないようにする
ユダヤ人の子ども達を学校から追放(大学入学枠は1%に)
1933年5月10日 ユダヤ人著作物公開焚書
1942年7月1日 ユダヤ人学校完全閉鎖
初期は政治犯対応
1941年7月31日にはヘルマン・ゲーリングからの文書でラインハルト・ハイドリヒが「ユダヤ人問題の最終的解決」の委任を受けている