私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年12月02日

第2回「感じる」 NHK AI 人間って何だ?




 為末大さんがゲストで来てはりました。

【解説】東京大学大学院 特任准教授…松尾豊
【司会】徳井義美



 1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズの論文[1]の中で述べられたのが最初で、現在では、数多くの定式化がある

哲学者ダニエル・デネットが論文[2]で示した例
洞窟の中にロボットを動かすバッテリーがあり、その上に時限爆弾が仕掛けられている。
「洞窟からバッテリーを取り出してくること」を指示されて、ロボットはどうするか、という問題。

 人間だと、あからさまに「爆弾」とわかる物があれば「これはいらない」とか考えて、「爆弾」は横に置いてバッテリーだけ持って来るだろう。しかしそれがロボットにできるか、ということ。(だが、そんなあからさまな「爆弾」なんて仕掛け無いだろうなあ・・・今時)

松尾さん
「世界とインタラクションしながら学んでいく。身体というものがすごく大事」

 なるほどなあ、身体が無ければ、感覚もあり得ない。
 そしてその感覚と実際の動きの中で人間は学んで行く。
 そして「形容詞的」「副詞的」な感覚を身につけていく。

「大きい」「小さい」
「重い」 「軽い」
「速く」 「ゆっくり」
しかもそれは「普通」があって決まってくる。

 そっか「普通」・・・

「一度の全ての動きは覚えられません。セグメントごとに行動を学ぶ」
    ↓
   課題分析やん!!

「模倣学習」とは「こうするのかな?」というシミュレーション。
身体の動きと見ているものの動きを対比してやってみる。
真似ることによって効率的に学習する。

「チャンク化」
一連の行動が塊になる。

「感じる」と「考える」
「感じる」は受け身。
ここで為末さんも徳井さんもいいこと言ってて、面白かった。

「〜〜しよう」と思った瞬間に失敗する。
野球でボールを打とうとする時は無意識(自然に反応する)。
為末さん、「やってる時は無意識」しかし、後でその「感じた」ことを基に考えて反復練習をする。そしてまた実際にやる時には、感じたままに無意識でする、ということになると思う。

これ、消防士さんの訓練なんかもだし、我々の教育や福祉の現場でも、そういうふうに動けるようにしないといけないんだよな。

で、「考えるんじゃない、感じるんだ」
で有名なのは、これですけど・・・



このシーンは、なんかちょっと違うよなあ。

それから「自由意志は存在するのか」という話。
リベットの実験からの結論。
で、「意志」より先に「無意識の脳の活動」が先行してる、って話が出てくるのですが。

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ただ、落ち着いている時に、繰り返し考えたり、反復したりすることで、よりその考えは強くなり、それを自由意志と言っていいのではないかな、と思っているのですが。




なお石井孝佳さん(ロボットエンジニア)の言われたことで印象的だったこと

「言葉にすると、情報が落ちる。しかし保存性はよくなる」

 なるほどな、です。
 実際、職人技は、先達のやっている現場に行き、ほんと「感じ」ることで文字にできない多くのことを学ぶことができます。しかし、保存性が悪い。そして他人に伝えにくい。だからこそ、私は「言葉」にし「文字」にすることの重要性を今感じています。



posted by kingstone at 23:55| Comment(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの女房 武良布枝著





ゲゲゲの女房 武良布枝著

 布枝さんが、武良茂(水木しげる先生)の釣書を見たのが昭和35年(1960)年の秋。
 そして周囲から水木先生は「もう40になる。これが最後のチャンスかもしれない。帰って来て見合いして結婚しろ」と言われ、住んでいた調布から無理して安来に帰って来たのが、1月。で、見合いして5日後には結婚式・・・

 そうかあ。
 昭和35年(戦後15年)でもそんなもんか。


 結婚は「好き」という思いでするものではなく、とりあえず男女一緒になって、そこから関係ができていく、と。
 で、布枝さんは安来の親戚と「今生の別れ」と思って東京に出発したと・・・

 で、貸本屋業界もまともにお金を払ってくれるような会社は無く・・・

 なのに税務署の方が来られます。

「正直に申告しています。これだけしか所得がないんです」 
「所得がないといったって、生きている以上は食べているでしょう」
「なんとか」 
「だからいっているんだよ。これじゃ、あんたたち家族が食べていられる所得じゃないでしょう」
「それでやっているんです」
「だから、他に収入があるんじやなて、聞いているんだ」
 そんな収入しかないから、餓死しないように四苦八苦しているのです。それをいってもいっても、相手には伝わりません。
 やがて水木はだまり込んでしまいました。顔が真っ赤に紅潮していました。水木は大きく息 をすい込むと、肩をいからせて、大声で一喝しました 。
「われわれの生活がキサマらにわかるか!」
 そして、水木はすかさず、質屋の赤札の束を税務署員の前にグイッと突き出しました。これには税務署員も唖然としたらしく、早々に退散していきました質屋の赤札の厚さが3センチにも達していたからです。


 しかし、そんな時、布枝さんの妊娠がわかります。


 家に帰って水木に「おめでたのようよ」というと、水木はハッと顔をあげて、私を見つめ、そのままだまり込んでしまいました。
 水木も不安だったんでしょう。いまでも苦しい生活なのに、食い扶持が増えるのですから。しばらくして水木は真顔でいいました。
「おまえ、子どもは大変だぞ」
 そして西宮時代のときのことを話しはじめました。西宮で兄家族と同居したと 跳がよく泣いて大変だったというのです。カンの強い子だったのでしょう。火が 泣き出すと、大人は手も足も出なかったとか。
「おれは、子育ての大変さを実感しとる。おまえには、それがわかっとらん。」
「大丈夫よ私だって、子だくさんの家に育ったんだから、妹ゃ弟、甥っ子の世話だってしたことがあるもん。わかってます」
「その上、うちは貧乏だ」
「いくら貧乏だって、なんとかなーわね。それに、私もお父ちゃんも年をとっていて、この先、また授かるかどうかわからんもん。せっかく授かったもんだから、私は産みますけん!」
 私がキッパリいい切ると、水木は、だまってうなずきました。


  そんなやりとりまであったんやな。

  しかし、いくら貧乏でも、酒や博打をするわけでもなく、毎日毎日、体をねじり左肩で原稿を押さえながら(左腕が無いから)、身を削るようにして描き続ける水木先生の背中を見ていて「この人の努力は本物だ」と思っておられたとのこと。


  その後、少年マガジンなどにも連載できるようになり、家計的には一息つかれるわけですが、その後の浮き沈み、そしてまた忙しさゆえの家族不和も経験されたそう。

  しかし、最晩年はみなさんのご存知の通り、多くの人にリスペクトされ、境港の「鬼太郎ロード」のプロジェクトも大盛況になり、今でも多くの方が訪れる観光資源になっておられます。

  で、何度もご夫婦で安来や境港を往復されるようになった。
  昭和35年頃とは隔世の感がありますね。

  そして訪れられたおりに、島根半島に沈む夕日を見ながら布枝さんが言ったのが
 「終わりよければすべて良し」

  ほんとそう言えるようにしたいな。




posted by kingstone at 22:30| Comment(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日のつぶやき






































































































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする