為末大さんがゲストで来てはりました。
【解説】東京大学大学院 特任准教授…松尾豊
【司会】徳井義美
1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズの論文[1]の中で述べられたのが最初で、現在では、数多くの定式化がある
哲学者ダニエル・デネットが論文[2]で示した例
洞窟の中にロボットを動かすバッテリーがあり、その上に時限爆弾が仕掛けられている。
「洞窟からバッテリーを取り出してくること」を指示されて、ロボットはどうするか、という問題。
人間だと、あからさまに「爆弾」とわかる物があれば「これはいらない」とか考えて、「爆弾」は横に置いてバッテリーだけ持って来るだろう。しかしそれがロボットにできるか、ということ。(だが、そんなあからさまな「爆弾」なんて仕掛け無いだろうなあ・・・今時)
松尾さん
「世界とインタラクションしながら学んでいく。身体というものがすごく大事」
なるほどなあ、身体が無ければ、感覚もあり得ない。
そしてその感覚と実際の動きの中で人間は学んで行く。
そして「形容詞的」「副詞的」な感覚を身につけていく。
「大きい」「小さい」
「重い」 「軽い」
「速く」 「ゆっくり」
しかもそれは「普通」があって決まってくる。
そっか「普通」・・・
「一度の全ての動きは覚えられません。セグメントごとに行動を学ぶ」
↓
課題分析やん!!
「模倣学習」とは「こうするのかな?」というシミュレーション。
身体の動きと見ているものの動きを対比してやってみる。
真似ることによって効率的に学習する。
「チャンク化」
一連の行動が塊になる。
「感じる」と「考える」
「感じる」は受け身。
ここで為末さんも徳井さんもいいこと言ってて、面白かった。
「〜〜しよう」と思った瞬間に失敗する。
野球でボールを打とうとする時は無意識(自然に反応する)。
為末さん、「やってる時は無意識」しかし、後でその「感じた」ことを基に考えて反復練習をする。そしてまた実際にやる時には、感じたままに無意識でする、ということになると思う。
これ、消防士さんの訓練なんかもだし、我々の教育や福祉の現場でも、そういうふうに動けるようにしないといけないんだよな。
で、「考えるんじゃない、感じるんだ」
で有名なのは、これですけど・・・
このシーンは、なんかちょっと違うよなあ。
それから「自由意志は存在するのか」という話。
リベットの実験からの結論。
で、「意志」より先に「無意識の脳の活動」が先行してる、って話が出てくるのですが。
ただ、落ち着いている時に、繰り返し考えたり、反復したりすることで、よりその考えは強くなり、それを自由意志と言っていいのではないかな、と思っているのですが。
なお石井孝佳さん(ロボットエンジニア)の言われたことで印象的だったこと
「言葉にすると、情報が落ちる。しかし保存性はよくなる」
なるほどな、です。
実際、職人技は、先達のやっている現場に行き、ほんと「感じ」ることで文字にできない多くのことを学ぶことができます。しかし、保存性が悪い。そして他人に伝えにくい。だからこそ、私は「言葉」にし「文字」にすることの重要性を今感じています。