※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年11月21日

2017年11月20日のつぶやき














































































































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Windows10 マシンのキーを変更する



 私は、もともと親指シフトを使っていて、しかし Mac を使うようになり、まあこれも親指化できるそうなのですが、私はできず、それなら普通のローマ字入力に変更すっか、と入力も渡り歩いて来ました。

 しかしここ5年ほど、仕事でWindowsも使うようになったのですが、何がいやかって、「半角/全角」キーを押そうと思ったら、左手小指を左上にぐっと伸ばして打たなければならないこと。
 またつい「無変換(ここに Mac は「英数」キーがあり、それを押下すれば半角英数字が打ち込める)」を押して、カーソルがどこかに行ってしまったりすること。

 「無変換」キーを「IME切り」に、「変換」キーを「iME入り」にするのはWindows10の機能でできました。

 しかしAltキーは変えることがそのままではできないみたい。

 で、確かキーを変更するソフトがあるはずと思って調べてみると、この記事がヒットしました。


 窓の杜からダウンロードするとlzh形式でまとめられているため、解凍するために、Lhaplus もダウンロードする必要がありましたが、解凍、実行することができました。

 Altキーも、「半角/全角」キーに変えることに成功しました。

 IMEの使い始めに変な表示が出ますが、気にせず使えばOKみたい。

(もうちょっと詳しく書き直す予定)

posted by kingstone at 00:28| Comment(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日のつぶやき
































































































































































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2017年11月19日

映画「地の塩 山室軍平」



映画「地の塩 山室軍平」


 京都の、近鉄東寺駅を降りてすぐのところにある、京都みなみ会館まで、映画「地の塩 山室軍平」を見に行って来ました。

 京都 みなみ会館
みなみ.JPG



 もう「大げさな芝居がかり」「キチガイ」「とっても変な人」(悪口じゃない。褒めてる)です。まあ実際の人物像とはまた違うかもしれませんが、十分納得できます。

 映画そのものは、短いエピソードの連続でトントンと進んでいきます。



Wikipedia から引用して簡単に説明すると

山室軍平(1872年 - 1940年)は日本の宗教家。説教者。日本人初の救世軍士官(=牧師)で日本人初の日本軍国司令官(「日本軍国初代司令官」ではない)。最終階級は中将[4][5]。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。

 パンフレットには賀川豊彦と一緒に写った写真もありました。
 賀川さんも伝道を始めた時、「キチガイ」と言われてたもんな。



 でもって、アッシジの聖フランシスコだってそんな方だったのだろうと思う。


 山室さんは、岡山の山間部に生まれ、家が貧しくて(しかし、映画の中では結構大きな家に住んでいたが・・・これは藁葺きの家などで残っているのは、かつて裕福だった家しか残ってないだろうから、必然的に大きな家になってしまうのかな)、質屋の叔父さんのところに養子に出される。

 しかし14歳で「もっと勉強がしたい」と家出して東京に行き、活版工となる。そういうことができた時代なんや・・・今、中二か中三で家出して、身元保証人も無く、定職につき、また私塾みたいなものだろうけれど、夜、勉強に行けるって、すごいことだな。

 そこで教会に行き始め、もっと学びたいと1889年に同志社に入る。最晩年の新島襄(1890年死去)の講義も聞いていた。しかしお金が無く、本科には行けないなあ、と思っていたら友人である吉田清太郎が自分の入学金・学費を山室のために流用してくれた。

 で、吉田は食費も無くなり、死んだ猫(生きてるのを殺したんじゃないからね!)を持ち帰り、鍋にして食べたりしていた。

 ホームページに吉田さんは「松山では松山女学校の経営危機を再三にわたって救い」とあるから、その後は実業でも活躍されたのかな。後年、彼も救世軍に入る。

 しかし、いろんな人が(山室も)、誰かのためにその時手持ちのお金(多い少ないはある。小銭のみしか財布に入っていないとか)を他人のためにポンと出す様子が描写されます。まあ、当時でも珍しいことではあったと思いますが。

 同志社では、当時、近代科学の発展の影響がキリスト教にも及び、聖書を客観的に検討しようとする自由主義神学(これもリベラルと呼ぶそう)の影響が大きくなり1894年に山室さんは同志社を去ったそう。映画の中では「ダーウィンが・・・」とかいう会話がされていた。しかし・・・ダーウィンは科学的でもこのあたりで会話されていたのは、社会的ダーウィニズムじゃないかなあ。全然科学的ではなさそうな・・・

 まあ、私自身、聖書の「奇跡」をそのまま信じるメンタリティはなく、例えば「山上の垂訓」で5つのパンがたくさんの聴衆に行き渡ったというのは、映画の中で山室と、売り飛ばされそうになったのを助けられた娘が、おにぎりを分け合ったシーンのようなものじゃないか、と思ってしまうほうではあるけど。

 とにかく山室さんは「そんな議論より実践を」というタイプだったわけね。

 これは、今でも研究者と実践家との違いとして出てくるものかもしれない。

 同志社を去った後、高梁の教会での伝道や、岡山の石井十次の孤児救済運動を手伝ったりしてたのが、石井が「救世軍(The Salvation Army)というのがイギリスから来たから一度見て来てくれないか」とお願いされ、行ってみたらぴったり合って、熱心に参加するようになり、初の日本人士官となられたと。

 なお、救世軍は町に出て、太鼓、金管楽器、歌などで伝道するので、「法華と耶蘇のあいのこ」と周囲からは呼ばれていたとのこと。

 映画のエピソードで集会の時、下足番をしているとこに旧知の友人が気づき「なんで君が下足番なんてやってるんだ?」と尋ねるシーンがあった。セリフは忘れたけど「神のために喜んでやってるよ」みたいな話。これって『典座教訓』と同じだよね。

 なお、山室さんのやった仕事の主なものの一覧がパンフレットにあった。

著述・出版:「ときのこゑ」編集、「平民の福音」、「社会廓清論丿他多数
自由廃娼運動と女性支援:醜業婦救済所(東京婦人ホーム)、女中寄宿舎、生業資金
失業労働対策事業
犯罪者更生社会復帰支援:出獄人救済所(救世軍労作館)、希望館(軽犯罪者の復帰施設大阪)
医療保険事業:救世軍病院、結核療養所
貧窮者事業:歳末慈善鍋
災害支援事業:東北凶作地子女救護運動関東大震災への支援
セツルメント事業:大学殖民館、社会殖民部、部落解放運動、愛隣館
相談事業:身の上相談事業
児童虐待防止運動▷1933児童虐待防止法へ「芥種寮」開設

すげえ。
やってることの範囲が広い・・・

 で、奥様も同士として活動されてたみたい。
 しかし・・・士族の娘になるんだけど、明治時代、恋愛で結婚するってのは周囲からはものすごく変なことと思われたかもしれないな。(それこそ貧しい庶民はその限りにあらずだったみたいだけど)









posted by kingstone at 23:34| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする