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 あくまでも、私個人の意見です。

2017年05月06日

物語 イギリスの歴史(上) 君塚直隆著





 紀元前55年にカエサルがブリタニアに侵攻。
 私はここからローマの支配が続いていたのかと思っていましたが、ゲルマン民族がライン川防衛戦を越え、409年に総督が放逐され、ローマの支配から脱しています。

 その後、アングル人、サクソン人(で、アングロ・サクソン系というわけ)、ジュート人などのゲルマン諸部族が渡来。


 なお、原住民の間のゲルマン系への抵抗の象徴として「アーサー王伝説」が生み出された。

 ヘンリ2世(在位1154〜1189)
 フランスにも領地をたくさん持っている。
 その地域を守る戦争のために莫大なお金を必要とした。
 そこで賢人会議(ウィテナイェモート)や評議会(カウンシル)に頼った。
 これらの会議を「パルマン」と呼びそれが議会(パーラメント、Parliament)となる。

 ヘンリ2世が効率的に遠征を行う手段として「軍役代納金」の制度を本格的に導入した。
 軍役に就かない代わりに騎士1人につき年間1ポンドを払う。これによって現地で兵を雇う。
 なるほど、延々と旅して遠征するより、現地召集できればそのほうが簡単だ。
「市民軍」「国軍」となる前はこういう傭兵のほうが良かったのかな。

 しかしこの頃の1ポンドっていくらくらいだろうか?
 いろいろ検索して調べたら、今の20万円から40万円の間らしいけれど、それで兵を1人どのくらいの期間雇えたのだろうか?

 で、今、日本でも改憲論がかまびすしく、憲法とは何か、という話がよく出てきていて、「憲法とは官の権力の乱用を防ぐもの」という意見も見る。

 確かに、それらの元となった「大憲章(マグナカルタ)」ってジョン王(在位1199〜1216)がどんどこ税を取ろうとしたのに対し、反発した諸侯によって認めさせられたものなんだな。

 で、この頃、イギリスだけでなく、カタルーニャでも神聖ローマ帝国でも、ハンガリーでも同時多発的に諸侯との間で認めさせられている。

 しかし王はいつも約束を破ろうとし、諸侯や台頭してきた貴族、騎士、都市民などは守らせようとし、みたいな戦いが常に行われてきたわけやな。



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2017年05月05日のつぶやき


































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