妻が読んでた「学研おんがく通信 2月号」を持って来ました。
松井美香さんて方のコラム記事「勇気づけのピアノレッスン」ってのを読んで感想を言いに来たのです。
まず、記事はアドラー(最近はやりですね)の引用から始まります。
「問題行動に注目すると、人はその問題行動を繰り返す。叱ることは、悪い習慣を身につけさせる最高のトレーニングなのだ。」
アルフレッド・アドラー「人生に革命が起きる100の言葉」小倉広著より
中にはこんなことが。
ここ数年、レッスン中に生徒が
「勝手に立ち歩く」
「許可なしに置いてある楽器や小物などを勝手に触る」
「指導が伝わりにくい」
といったお悩みを抱えている先生が増えてきました。私も、このようなケースの対応について、ご相談を受けることが多くなってきています。
子どもに問題行動をさせたくない時に、指導者や親である私たちが、まずしてしまいがちなのが「叱る」という行為。でも「ダメって言ったでしょう」や「何回も言ってるのに、なんでできないの!」と叱っても、子どもの問題行動は直リません。
それどころか、ますますエスカレートしていきます。
で、松井さんがどうするかと言うと
私たちは、問題行動をやめさせたいのであれば、そのことに「注目しない」ということが、実はとても大切です。そして、問題行動をしていない時や適切な行動をとった時にこそ、注目し認めるのです。
できて当たり前を思うようなこと、例えば「いつもレッスンに来る」というようなことにも注目し勇気づける。そうすることで、問題行動はかなりの割合で減っていきます。
私は、なかなかちゃんとしたこと書いてはるなあ、と思いました。
しかし妻に言わすとそもそも
「勝手に立ち歩く」
「許可なしに置いてある楽器や小物などを勝手に触る」
「指導が伝わりにくい」
ということ自体が「当たり前のことやん」、とのこと。
「勝手に立ち歩く」→何に興味を持ってるのかな
「許可なしに置いてある楽器や小物などを勝手に触る」→「いい音やん」「いい曲になるよ」
「指導が伝わりにくい」→だから伝わりやすいように考える
なるほど。君もええこと言うやん。
今、会社を作って、いろいろ事情があって妻も社員になってもらってます。で、妻はもともと個人事業主としてやってきてたから、伝票やなんやかんやで妻から煽られてます。実質、現時点ではお金の出入りは妻の方しかありませんから。
しかし、私がウツでネタキリだった時、あまり深刻そうでなかったのは、自分の仕事があり、こういうお金のフローがあったせいなのだな、ということがよくわかります。
「できて当たり前を思うようなこと、例えば「いつもレッスンに来る」というようなことにも注目し勇気づける。」これは、私が放課後等デイサービスのスタッフさんたちにも、お願いしたり、自分でもやったりすることですね。
ただねえ。いわゆる「問題行動」に過剰に反応しないのは大事だけど、「ここではこうして欲しい。でないと君も本当に楽しめないし、周囲のスタッフさんも困ってしまう」ということはまあよくある。
そのして欲しい行動が移動を伴うことであるなら、音声言語はいっさい使わず(つまりもちろん説教も叱責もしない)、「移動のさいに必要な具体物を持たせてしまう」「移動の方向に立たせて体を向ける」などの方法をとることが多いかな。
まあ、ひょっとしたら私にそうして欲しい、私の注目が欲しい、からやってて、本人にしたら「大成功」なのかもしれないのだけど、そうやって適切な行動をした後、また私のそばにやってきて落ち着いていろんなことを伝えてくれたりはすることが多いな。
Togetter のまとめに、ながし @Pnagashi さんが素敵なコメントをつけて下さってましたので、そちらを転載し、その後の私のツィートも少し改変して入れます。
「当たり前を誉める」って、言葉でいうと簡単だけど、実はかなり難しい。なぜなら、私たち大人がそのようには扱われてきていないから。なので、トレーニングが必要。
トレーニングといっても、別にペアトレをせよということではなく、できないからスタートしないとできない自分に幻滅して続けられないよ、ということです。
本当にこのとおりです。私自身「できてる」と思っていたのにできていなかった。
昨年、ソワサポートの代表から、
「スタッフが連絡帳に1行〜2行でその子の今日の良かったところが書けるようにOJT(実地指導)して。まずはキングさんが書いてあげて」
と依頼があり、楽勝やん、と思って取り組んだけれど、これが難しかった・・・ほんとそんなこと、もうできる、できてる、と思ってたのだけど
メモでもなく、ちゃんと他人に読める文で、お子さん本人も、親御さんもにっこりできるものを書く、ほんと難しいよ。
でも、1か月、毎日書いてると
「一見、当たり前のように見えるけれど、ここを褒めたらええんやな」
「本当はあそこまで期待したいところだけど、ここまでできてるねんからそこ褒めて書けばいいやん」
とかいうのがわかってきた。
はっきり言って、最初の頃は、私自身にとってのハードなトレーニングでした。
ほんと「できない自分」を感じさせてもらえました。
まあ、でも、私、基本的に「我々に失敗は無い。ただ学ぶだけだ(メジボフさんの言葉)」が座右の銘だし・・・
あと、昨年夏頃、私のタイムラインで応用行動分析のシェイピングの話題が出てて、私、シェイピングの意味全然わかってなかった。9月に特殊教育学会に行った時に、えーーっと乱暴に言うと
「目標行動を決めててもその達成が難しい時、(その目標行動に直接関連無くても)今できてることを強化する」
みたいなことなんだな、と教わって、これも同じやん、と思いました。
で、そんなこんなでいろいろやってたら、なんかいろいろ子どもたちがいい方向に変わって来たんだよね。
結局、私、できてませんでした。お恥ずかしい。という話です。
そういや、そういうあれこれをやってた時、あるお子さんが連絡帳のことを「僕のほめほめノート」と呼んでました(^ ^)