会社の数字がカラダでわかる! 岡本吏郎
この著者もいろいろ本を読んだりするのが好きなのだろうな。
各章の扉にはエリック・ホッファーの言葉が引用されている。
「知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる」
「好ましくない特質を除去することによって、人間を改造できるかどうかは疑わしい。ほとんどの場合、その除去はせいぜい代替物との置き換えにすぎない。われわれは、除去した悪い特質をその相似物に置き換える。そして世の中は変わらず、そのまま続く。嫉妬は欲望に、独善は利己主義に、単なる不誠実は知的な不誠実に代わる。しかも、新たに生じた悪い特質が、それが取って代わる以前のものよりも強力になる可能性がつねにある」
「他人の知恵は、われわれ自身の血でなぞられないかぎり、無味乾燥なものにとどまる。われわれは、本質的に世界から切り離された存在である。食いつかれ、引っかかれて、はじめて世界を認識できるのだ」
身をもって知る
身に沁みる
骨身に沁みる
「植物は生長するために根を必要とするが、人間の場合は逆である。人間は成長している時だけ根をもち、世界に安住することができる」
「人間の諸問題においては、すべての解決は問題を具体化する、つまり直面しているものをより明確化するのに役立つだけである。最終的な解決など存在しない」
ここからは著者の言葉。
会計は「経営」に役に立たない可能性が高い。
会計がいちばん役に立っているのは粉飾の場合である。
これ、大会社で経理をやっていた私の友人も言っていた。日本中の会社の経理のやっていることはいかに粉飾して外部に「いい会社」と思わせ、株価を上げる(下げない)ことだ、と。
(「経営」に役に立つのは)カラダで数字を理解すること。これに尽きる。
会計の(簿記の?)言葉がわかっても、ここがわからなければ意味がないし、会計の(簿記の?)言葉がわからなくても、ここがわかっておれば経営に問題は無い。
経営がうまくいかないから「会計を勉強したい」という人は多くいるけれども、勉強しても、このキモがわかってなければ意味は無い。「会計としては正しいが経営としては失敗」ということも起こりえる。
それから「どうしたらいい人材を雇えますか?」と聞かれることが多いけれど、そんな方法は無い、と。
まあそういうこっちゃろな。
「適切な給料・福利・厚生」
があったうえで
「育てる」
ってことやろな。
柳生宗矩「習得した技を全て使おうとすることは病である」
「何となく感じる」は大事。
「会計はチェックである。それ以上でも以下でもない」
会計事務所の仕事は経営者に「見たくもない現実を見せること」
これ、特別支援教育に携わる専門家でも同じじゃないだろうか?
そして、その上で、「これからうまくいくためにどうしたらいいか」を伝えること。
大事なこと
○「今月(今)の支払いができるか。
そのためには
M1 現金
M2 預金のうちから近い支払い予定を引いたもの
M3 確実に入る予定の売掛金
M4 家計からいつでも仕事用に出せるお金
このM1〜4は人によって違っていいけど、中小企業ならこれくらいとのこと。
私の場合はM3は考えなくていいかな?
いや、国保に請求し、入金前の債権(?)が売掛金になるのか
必ず毎日、現金残高(金種別残高表)の「実査」をする。
目と手と頭を動かすわけね。