「経済学者 日本の再貧困地域に挑む」鈴木亘著
鈴木さんは学習院大学経済学部教授
社会福祉が専門の研究者であるけれど、文献だけでなく、フィールドにも出ていく方であるとのこと。
序文にある、鈴木さんがこの本で書きたかったこと。
1.「改革の中身よりも、どう実行するか」
2.「人口減少社会に合わせた社会の正しい縮み方はいかにあるべきか」
大阪市西成区に「あいりん地区(釜ヶ崎とも呼ばれる)」がある。
「あいりん(愛隣)」という地名は地域のイメージアップのために行政が1966年につけた。しかし地元の人は「釜ヶ崎」という呼称を今でも使う。
タテ・ヨコ1kmの三角形に近い台形のエリアで、面積約0.6km^2
西成区全体の1割にも満たない
ここに住民・日雇い労働者・ホームレス・生活保護受給者(住民とは少しスタンスが違うのか?)・バックパッカーがひしめいている。
交通の要衝
「新今宮駅」は、JR大阪環状線、南海電車の乗降駅。
すぐ東側に大阪市営地下鉄御堂筋線、堺筋線の「動物園前駅」もある。
道路も国道43号線、国道26号線、堺筋、紀州街道、阪神高速14号線(松原線)がある。
主要観光スポットに近い
北側2kmにナンバ。
手前は日本橋(にっぽんばし)
「動物園駅」のすぐ北側が通天閣。
あべのハルカスは1km東。
私も、日本橋(よく行った)や通天閣、動物園、一心寺あたりは行ったことがあるのだけど、釜ヶ崎がこういう位置関係にあるのは知らなかった。
歴史
P36とP55の年表を元に
1961 第一次釜ヶ崎暴動
1962 (財)西成労働福祉センター設立
1963 大阪市立あいりん小・中学校設立(1984閉校)
済生会今宮診療所第4代所長に本田良寛医師就任
1966 あいりん地区対策三者協議会(府・市・府警)設置
あいりんの呼称が作られる
1969 全日本港湾労働組合建設支部西成分会発足
(全港湾)
1970 大阪万博開催
あいりん総合センター設立
釜ヶ崎協友会発足
(後の釜ヶ崎キリスト教協友会)
第1回釜ヶ崎越冬闘争
第1回釜ヶ崎メーデー
1971 福利厚生資金(モチ代・ソーメン代)の創設
(2005年まで)
大阪市立更生相談所開設
(2014年西成区役所に統合)
1975 釜ヶ崎炊き出しの会発足
1976 釜ヶ崎日雇労働組合発足
(釜日労)
60年代、70年代を通じて現金求人数50万件前後
1980 釜日労による釜ヶ崎春闘の賃上げ闘争開始
(1992年まで)
子どもの里開設
1980年代 バブル経済の好況
1989 現金求人数 1874000件
この頃、簡易宿泊所(ドヤ)200軒越え
1990 第22次釜ヶ崎暴動
5日間投石・放火・略奪が続いた
1992 釜ヶ崎高齢日雇労働者の仕事と生活を勝ち取る会(勝ち取る会)発足
1993 現金求人数 889000件
釜ヶ崎就労・生活保障制度実現をめざす連絡会(反失連)発足
釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)発足
1994 高齢者特別清掃事業(特掃)開始
あいりん総合センターの夜間開放
1998 大テント設置
今宮中学校南側のホームレステントに対する行政代執行
1999 特定非営利法人釜ケ崎支援機構発足
釜ケ崎まちの再生フォーラム発足
2000 あいりん臨時夜間緊急避難所(南シェルター)設置
簡易宿泊所からサポーティブハウスなどへの転業始まる
2002 【ホームレス自立支援法施行】反失連、野営闘争開始
佐藤訴訟が大阪地裁において原告側勝訴判決
2003 【厚生労働省社会・援護局保護課長通知発出】
(ホームレスに対する生活保護の適用について)
2004 あいりん臨時夜間緊急避難所(北シェルター)開設
NPO法人サポーティブハウス連絡協議会(サポ協)発足
2005 大阪国際ゲストハウス地域創出委員会(OIG委員会)設立
2008 (仮称)萩之茶屋地域まちづくり拡大会議発足
2009 【厚生労働省社会・援護局保護課長通知発出】
(職や住まいを失った方々への支援の徹底について)
萩之茶屋小学校東側の路上屋台撤去
2011 仏現寺公園(萩之茶屋北公園)再開
2012 西成特区構想が実質スタート(正式には2013年度から)
1960年代にあいりん地区対策が行われるまでは、家族持ちの労働者もたくさん住んでいた。
チエちゃんの通う「西荻小学校」のモデルは
「荻之茶屋小学校」もしくは「弘治小学校」であると言われている。
対策が進むと、家族は地域外に出て行った。
これにより児童・生徒数は激減、
それが橋本市政での3校統合への流れとなる。
1970 年に建てられた「あいりん総合センター」の内容
1.日雇労働市場
2.西成労働福祉センター
3.あいりん労働公共職業安定所
・日雇い労働者の失業保険給付業務
・求人事業者(手配師やな)の管理業務
・職業紹介をしだしたのは2016.4から)
登録者数、ピーク時24000人、現在1500人
これは現在、2か月間に26日以上働くことが難しいことの現れ
4.大阪社会医療センター付属病院
5.荻之茶屋第1住宅(市営住宅)
東隣には荻之茶屋第2住宅
それぞれの管轄は大阪市・大阪府・国(厚生労働省・大阪労働局)にまたがっている。
当時たいへんな調整努力があったものと考えられる。
しかし老朽化・耐震化で、対策待った無しの状況だった。
また当時、府・市・警察の三者協議会が協議し、周辺住民への説明や合意形成のないまま一気に建ててしまったため、その記憶は周辺住民に強く残っていた。
1970年にできた「釜ヶ崎協友会」は釜ヶ崎で地道に活動を続けていたキリスト者たちが、プロテスタントもカトリックも協力して活動するようにしたもの。そして労働運動とも連携した。
サポーティブハウスというのは単なるドヤではなく、共用のロビーのようなところがある、「居場所」としての機能をもった宿泊施設。様々なサポートが必要になったということ。
佐藤訴訟というのは、ホームレス状態だった佐藤さんが生活保護を受けてアパート生活をしようとしたけれど、住所が無いので収容所に措置されたのに対して起こした訴訟。原告が勝訴した。
2012年1月 橋下徹氏(当時大阪市長)が「西成特区構想」をぶちあげる。
もともと鈴木さんが当時よく出ていたテレビ番組のキャスターを通じ、2012年3月頃
大阪維新の会の浅田均参議院議員から「アドバイスを頂きたい」と言われ、鈴木さんは浅田さんに会いに大阪に行った。
会った時「西成特区構想」の話が出たのだが、鈴木さんは大阪大学の学生時代から釜ヶ崎に通っており、助教時代にはホームレスや生活保護受給者のフィールド調査をやっており、今でも講演に呼ばれたり、ゼミ合宿を釜ヶ崎でしたり、地域のリーダーたちとも面識のある人が多い、ということが浅田さんにわかる。
そして浅田さんたちの構想を聞き、それがうまくいかないだろう理由などを伝えると、いきなり「区長になって下さい」と言われるが、断ると「特別顧問を引き受けて欲しい」と提案される。
その時の鈴木さんの脳裏に浮かんだこと。
そのとき、私の脳裏に走馬灯のように現れた映像は、ほぼ、その後に起きたできごとを的確に捉えたものだったように思う。
労働組合や活動家たちに怒鳴られ、糾弾されているわが身。ヤクザに脅されているシーン。役人たちの抵抗にあって途方に暮れている姿。新幹線で足しげく東京から大阪に通い、疲労困信している様子。ずっと家を空けているので、家族関係に危機が生じている状況。最後は、町内会や商店街の人々に「全部お前のせいだ! さっさと東京に帰れ!」と石を投げつけられている場面まで浮かんだ(幸いなことに、それだけはまだ実現していない)。
めっちゃわかる・・・
しかし結局は「俺が引き受けなきゃ誰が引き受けるんだ」ということだろうな・・・引き受けられます。
1999年から続いている「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」の月1回の「定例まちづくりひろば」という勉強会に、鈴木さんも出席されていた。この回の主だった有識者メンバーが集まって「西成特区構想に関する情報交換と対応策を練る緊急作戦会議」を開くことになり、鈴木さんも参加。
みなさん、橋下さんによって、今までの支援が打ち切られるのではないか、と戦々恐々としていたのだが、最後に鈴木さんが特別顧問に就任するとわかってびっくり仰天されたとか。そらそうやな。
「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」の「定例まちづくりひろば」は来る者は拒まず、去る者は追わず、でゆるいつながりをつくり、西成市民館か大阪市大の西成プラザで月1回開かれているとのこと。
そしてここから出たアイデアで実現していったものがサポーティブハウスや、ドヤを外国人バックパッカー向けに転換する「大阪国際ゲストハウス」などが出てきているとのこと。
つまり、そこではかなりのアイデアの蓄積があり、鈴木さんはたまたまその会の当事者だったんだよね。
鈴木さんは2012年3月末に正式に大阪市特別顧問に就任。
これに対する給与は0円!!!!
何かについて実費は出るみたいだが。
しかし2012年4月はじめに役人から説明を受けたら
「すでに、西成特区構想は実質的に始まっており、様々な計画が各局によって立案され、局ごとにもう実行されつつある」
ことがわかる。
つまり「特別顧問などお呼びじゃない」状態。
また「市政改革プラン」といういわゆる事業仕分けも進行しつつあった。こちらはまったく釜ヶ崎の実情にうとい人たちがプランをたてていた。
鈴木さんのとった手立て。
「西成特区構想審議会」を設置しその「事務局機能」を役人に渡さない。
渡すと
・自分たちにとって「困った委員」には事前に資料を渡さない
(意見が会の場で言えなくなる)
・スケジュールを「困った委員」の来れない日に設定する
・各委員を仲違いさせる情報を流し自分たちの都合のいい方向に誘導する
しかし同時に・・・
現場の役人たちをなるべく多く味方につけることである。一部の「はみ出し者」でもよい。表立って協力できない「隠れファン」でも良い
また西成区役所と大阪市役所との関係は、所轄と本庁のような関係があるって。「踊る大捜査線」だな。
ところが、役人が「審議会設置はできない」と言ってきて(これはまず一発目の抵抗)「有識者座談会ならできる」と言ってきたので、それで了解した、と。とにかく、作って走り出す、ことを優先されたわけ。
理由は時間が惜しかったから。
2013年度に事業が始まるとしたら、「概算要求」を9月中旬くらいまでにはしないといけない。そこで形にしておかないと、5か年でも挽回不可能と考えられたから。
なるほど。
行政での事業を実現しようとしたら、そういうふうにスケジュールを考えないといけないのか・・・
そして鈴木さんは「徹底的な情報公開こそ生命線」と考え、
の協力で会議のはじめから終わりまでを配信、かつYouTubeで見ることができるようにされます。
そして次にされたのが各団体回り。
ってね・・・一人で行き、いわゆる「吊し上げ」状態の中でも正直に話すことを続けられます。
2012年8月。10回の座談会が終わった後、「西成特区構想を考えるシンポジウム」を開く。ここで鈴木さんも有識者も「逃げない」態度を見せたことで、区役所職員の鈴木さんへの態度が目に見えて変わったそう。
市政改革プランでは、橋下市長の指示で「すべては競争入札」というプランが立てられていた。そして「高齢者特別清掃事業(特掃)」は、もともと日雇い仕事のできなくなった高齢労働者を雇用して地域の清掃事業にあたってもらおう、という主旨のものだったのに、「これも業者への一般競争入札で」という方針になっていた。そのほうが「安くて」「質のいい」清掃ができる、という理由で。
それを避けるために考え出したのが「プロポーザル型公募入札」。
橋下市長の説得には鈴木さんが当たった。
橋下さんは合理主義者だから
「特掃はあいりん地域の反失業運動の歴史的成果であり、われわれが闘争して勝ち取ったシンボルである。そのシンボル事業を廃止・削減するとはケシカラン」などと迫っても無駄である。また不合理な既得権に対して断固と闘う市長の性格から考えて「暴動が怖いから」などという説明では、火に油を注ぐ可能性が高い。
そこで鈴木さんは
「特掃は非常に安上がりで、お得な事業です」
「特掃を廃止・削減した場合のほうが、はるかに高い費用負担(生活保護など)が大阪市に発生しますから、廃止・削減は結局、損です」
と説明され、納得を得られたとのこと。
ちなみに「生活保護」は「働くと損」な体系になっているため、「特掃」で働いていてもらったほうが、お金の面だけでなく、いろいろな面で良いことは容易に想像がつく。
特掃もだし、「子どもの家事業」の「廃止」も西成特区構想へのネガティブキャンペーンの元になったけれど、下記のような形で存続している。
そしてこの事業は、子ども達から家庭の情報が入り、家庭への支援につなげられる重要な場になっているとのこと。
まあ、そんなこんなで8分野56事業の報告書をまとめあげたら、西成区役所の人からこう言われたそう。
「特別顧問、報告書の作成を本当にご苦労さまでした。8分野56事業という大計画ですが、実際にこれを全部やるということは不可能だと思います。西成区役所としては、特別顧問の花道として1つか2つ、目玉の事業を実現したいと思います。それが私たちにできる精一杯のところです。どうか1つか2つ、このなかから、実際にやるべき事業を選んでいただけないでしょうか」
もちろん、鈴木さんに好意をもってる方が善意で言ったんだろうな・・・
鈴木さんは「全ての実現」を宣言されたとのこと。
そしてあの手この手で、2013年度の予算としてに27事業を事業化されます。
1つか2つからは大きく前進ですね。(全部とはいかなかったわけですが)
2013年度から「エリアマネジメント協議会」を起ち上げ、官民が情報交換する場とした。
しかしそうしているうちに建設局がホームレス対策として強制代執行を計画していることがわかる。もちろん、実行すれば、地域の労働団体をはじめ、ホームレスの人のために活動している人達からの信頼を一気に失います。
鈴木さんは副市長に直談判して半年の猶予をもらい、「まちづくり合同会社」を設立し、強制代執行が必要の無い状態にします。(どれだけたいへんなことか・・・)
またそれまで全然協力関係の作れなかった西成署については、あるベテラン記者さんから、「そりゃ西成署に協力を頼んでも動いてくれません。大阪府警ですから府知事から言ってもらわないと」と教えてもらい、府知事と府警本部長と会談してもらうと一発で動きだしたと。
そして、いよいよ地域のあらゆる人たちを巻き込んでの
「あいりん地域まちづくり検討会議」を始められます。
やったこと考えたこと
1.町内会長全員への参加要請
(町内会長さんたちは地域のリーダーではあるけれど、
一部を除いて、発言とかにも慣れておられないし、
またどちらかというと今まで「迷惑をかけられてきた」
という思いもあるし、それを正直に言えば怒鳴って
くる人もいそうだし、みたいなことで消極的になる方
もおられるけれど、この方たちの力も是非必要だよな)
2.全ての労働団体への参加要請
(「俺たちゃ聞いてない」とかいう話にならないように)
3.反対の立場の人とも折り合う着地点を探す
(しかし声かけをしても参加されなかった団体もあった
そうだけど、傍聴席からやじったり、反対意見を
述べたりされても、その意見をできるだけ取り入れて
いこう、とも考えられてます。
4.萩ノ茶屋小学校体育館開催にこだわる
(なんせ地元だから。
地域の人が来やすいから。)
5.そしてYouTubeで全て公開する。
(情報公開が命綱)
2014.9.10 準備会
この会の冒頭、鈴木さんが長年の無為無策を謝罪するところから始めてはります。
もちろん、本当は鈴木さんが謝る必要は無いのだけど、それでわだかまりなく会議に参加できるようになった人も多いとか。
また、この時はよくある会議のようにロの字型に長机を並べて話し合ったが、みんなの距離が遠すぎて、発言も少なくなってしまったそう。わかります。ほんと建前の意見だけになって、親密な話し合いはできないですね。
そこで、第1回はワークショップ型にしたと。
また、ワークショップ型にし、グループ内の発言をまとめて、代表が発言することで、「こんなこと言ったら目をつけられるのじゃないか」という恐怖を持っていた方も発言しやすくなったと。
しかし、妨害というか、やじはすごいものがあります。全て公開されていますから聞くことができます。
臣永(とみなが)区長の挨拶が始まった、1分30秒過ぎから
やじが始まっています。
まあ、たいていの公務員さんだったら、これでびびりあがるよなあ・・・
しかし、鈴木さんの想定内であり、まず鈴木さんが合いの手を入れ、続いて鈴木さんが傍聴席に行き(つまり怒号の中に入って行き)、ミニレクチャーをするという段取りをしてはりました。
2014年12月1日までの6回の会をもってはりますが、すべてにわたって、あの手この手で形式も変えつつ、妨害に対応してはります。それも、ケンカするのじゃなく対話する形で。
まだまだどこでも自治体(行政)が案をいきなり出して来て、「とにかくこれでやります」みたいな形が多いとは思うのですが、それに裏切られてきた、という思いのある人たちに、「みんなの意見が反映される」「みんなで作る」という形を信じてもらえるように、鈴木さんがどれだけ努力をしておられるかよくわかります。
私が最近読んだ
でも
でも、うまくいってるところは、地域の人ととことん対話をしているもんな。
ひょっとしたら、最近よく聞く、「オープンダイアローグ」ってのにもつながるのかもしれない。
まとめでの鈴木さんの言葉
「スーパーマンのようなリーダーは現れない」
「等身大のリーダー、量産型リーダーをみんなで担いでうまくはたらかせる」
(量産型ってのはガンダムの影響?)
鈴木さんが自分のやったこととして上げている項目
@ウソをつかない、ごまかさない
(都合が悪いことも、すべてオープンに正直に話す)
A約束を破らない
(一度やると約束したことは「評判」を保つために死守する)
B頼まれごとは極力断らない
(人々に対する「貸し」を貯め、それを元手に
裁定取引(arbitrage)するためには、
はじめはどうしても無理をして貯蓄をしなければならない)
C異なる利害関係にある人々や行政の間に立つ場合には、完全中立を保ち、そのバランスに細心の注意を払う
Dなるべく多くの人々に直接会って、face to face でコミュニケーションする機会を増やす
(落選した市会議員のごとく、厚かましくどこにでも顔を出す)
Eコアとなる人々(プレーンとなってくれた有識者たち、西成区役所の事務局、人々のハブとなっている地域のリーダーたち)とは、とにかく情報交換を密にして、おたがいに考えがツーカーになるようにする
F人々への説明や演説は極力わかりやすく、子どもでもわかる表現で話す
G極力長く、同じポジションに居続ける
(すぐに交代する腰掛けリーダーを信用する人はいない)
H改革にコミットする
(退路を断つ。改革を止めると自分自身が大損をする
という状況証拠をつくる)
Iまちの歴史、人々のバックグラウンドを前もってよく調べて勉強しておく
(人々や地域へのリスペクトを忘れない)
I改革から自己利益を得ようとしない
(要するに、タダ働きをする。研究にも利用もしない。
自分の利益のためにやっているとみなされると、
途端に人心が離れるからである)
I人をよく褒め、功績や栄誉を他人に譲る
なんかほんまやなあ、と思います。
で、こういうことがあって
新今宮駅前に星野リゾートがホテルを作る、とかいうことが出てきたんだろうな。
(日本経済新聞 2017/3/8)
子会社を通じて大阪市からJR環状線・新今宮駅前(大阪市浪速区)にある約1万4000平方メートルの土地を約18億円で取得する。運営は星野リゾート本体が担う。新ホテルのブランドは未定。
コラム1・2 ホームレス対策と外部性
経済学のもっとも基本
「効率的に社会を運営するには、個人の自由な選択や取引に任せておくのがいちばんで、行政はその邪魔をするべきではない」
しかし、今は「市場原理主義」「新自由主義」ではなく「市場の失敗」が起こればなんらかの行政的介入が必要と、多くの経済学者は考えている。
「市場の失敗」の一例。ホームレスが好きで野宿をしている場合でも、第三者に迷惑がかかる、などの場合「外部不経済」という失敗になる。第三者によい影響を与える場合は「外部経済」と呼ぶ。ふたつを合わせて「外部性」という。
ホームレスによる外部不経済の具体例
1.公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる
2.結核などの感染症が蔓延し第三者に広がる
3.周辺環境が悪化し、地価や賃貸料が下がる
4.路上生活の長期化によって健康悪化が進むと、最終的に重篤疾患となり生活保護から高額の医療費が支払われる
5.通行人などが気の毒に思って不幸になる
これらにより行政の介入が正当化されうる
対策として考えられるのは
1.自立支援センターなどを設置して公費でホームレスの人々を支援する
2.公共空間を占拠することに対して罰金や刑罰を科す
一般的には公費を投じるよりも、ペナルティーを科すほうが、安上がりなのだが、ホームレスの人々は「支払い能力が無い」「刑罰を科すと刑務所などの施設費・人件費がたくさんかかる(自立支援センターよりも高くつく)」
ここまできて、公費で支援することが正当化される。
思い出話
私自身は、大学4回生の時、鳶の親方の記事にひかれ、東京の親方のところに、働かせて、と言いに会いに行ったら
「泊まるところあるのか?」
「いえ」
「じゃあついて来い」
と言われて着いたのが、山谷の山谷自立合同労働組合(山自労。検索をかけるといくつか記事がヒットしますね)の事務所件住宅で、山自労の人から
「なんで釜ヶ崎や寿町(横浜)とばしてここに来たの?」
って質問された。
いや、別に労働運動をしたくて行ったわけじゃないのだけど・・・
2週間ほど泊まり日雇い仕事をしたり、役所との交渉について行ったりしたな。
そこには年齢が高くなってホームレスやってたけど、公園の水道を止められて仕方なく事務所で寝泊まりしてた人が何人か住んでた。一緒に日雇い仕事にも行ったけど、私より仕事できてたな。
いろんな話をしたけど、私がそこで本名を名乗ってるってことにみんながびっくりしてたのが印象的だった。(つまり他のみんなは偽名を名乗っていた)