私の関わりのある法人

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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年03月27日

"町内会"は義務ですか 紙屋高雪著




"町内会"は義務ですか 紙屋高雪著


 最近、地域の「町内会みたいなもの」デビューをしました。
 なんか社会福祉協議会の支援を受けて困りごとを解決しようみたいなことを始められてて。場合によったら「朝のゴミ出し」のお手伝いくらいだったらできるかな、と、その前段階の勉強会には出席させてもらいました。

 あと、地域の人たちのそれこそ「居場所」的なところとしてカフェも曜日限定で始めてはったのですが、土曜日も仕事があるので行けていませんでした。しかし現在の職場を退職することになり、少し時間に余裕ができたので、初めて行ってみました。

 ごく普通の(ドトールやマクドナルドとかじゃなく)喫茶店の価格でした。少し高めかなとも思ったけれど、まあコミュニティ維持費用かなと、一週間に一度くらいは行ってみようと思いました。

 私の場合は、まあ隅っこのほうでちょこっと何かができたらいいかな、くらいで思っていますが・・・

 紙屋さんの場合は、それまで頑張って町内会長をやってこられた方が突然亡くなり、「会長を引き受けてくれないか。私達も協力するし」と話をもって来られて引き受けはります。


 実は、私は大学時代に学生自治会の役員をやっていました。学生自治会というのは、まあ、中学校や高校にある生徒会のようなものだとまずは考えてもらっていいでしょう。その全国団体の役員もしていたこともあります。浜田さんも鶴島さんも、私のそういう経歴を知っていました。だから、この男なら、御輿の上にかつがれてもいい、と言いだすのではないかという目算があったのだと思います。

 いや・・・大学の自治会は中学や高校の生徒会とはだいぶ違うと思うぞ・・・
 Wikipediaに紙屋さんの経歴がありました。


 またこんなブログをやってはります。


 しかし、この協力すると言っておられた方達、ご家庭の事情でほどなく転居・・・
 たいへんやあ。


 なお、「町内会」と「自治会」は同じものと思って構わないんだって。
 その他の名前としては「区」「町会」「部落会」「区会」とかがあるって。




いろんな自治会でやっていることの例

   ○夏祭りなどの地域のお祭り
   ○回覧板による住民への広報活動
   ○防犯灯の設置と維持管理
   ○清掃活動・リサイクル活動
   ○中にはビジネスに取り組むところも
   ○高齢者の見守り 住民の相談、生活支援
     なお、紙屋さんも24時間電話OKにしてみたが、
     かかってきたのは2か月に1本程度だったとのこと

 なお、紙屋さんは文を書いたり広報文書を作ったりはめちゃ得意だからそこの分野で頑張っただけで、「どうだ、こんなすごい活動をしたぞ」というようなことは無い、と書いてはりますが、後を読めば、なかなかできないことをやってはる。

 なお、地元の外国語学校が、中国人留学生の寮としてUR団地の空き部屋を借り上げるという計画が団地に持ち込まれた時にURと団地住民の間にたってやったこと。
 大量の通学用自転車が持ち込まれて駐輪場がパンクするのではないか、という心配に対して。

   ・学校は学生にシールを渡す。(どれが外国人学校関連の自転車かわかる)
   ・団地の人たちがそれまでにあった放置自転車を撤去。
   ・それでも場所が足りない場合はURに駐車場増設をお願い。

 結果 日本人もびっくりするくらいマナーの良い駐輪が実現した。
    (ってか、それまで日本人もええかげんだったに違いない)

 よく、
「外人はゴミ出しマナーがなってない」
「外人は駐輪マナーがなってない」
とか文句を言ってはるのを聞いたり見たりすることも多いけれど、それ以前の努力を地域の人がしていない点も多々あるやろな。
 漫画「テルマエ・ロマエ」でロシア人の入浴マナーが悪かったのは、わかるように伝えていなかったからで、視覚的にわかるように伝えたら、マナーが良くなった、ってストーリーがあったけど。


 しかし紙屋さん、「校区」の会議は忙しくて出られない、と宣言してはりました。
 どんな方が参加しているかと言うと・・・

   ・町内会長 たくさん
   ・防犯委員会
   ・防災委員会
   ・交通安全委員会
   ・衛生委員会
   ・環境委員会
   ・男女共同参画委員会(旧婦人会)
   ・青少年健全育成委員会
   ・体育協会
   ・社会福祉協議会
   ・老人クラブ
     などの団体の代表者

 なお、「校区」の会議に欠席し続けていると、「校区」の規約に「欠席はまかりならぬ」みたいな文言が加えられ、ついにはある時出席したら「吊し上げ」されてしまいはります。

 「吊し上げ」?「査問」?「総括」?

 いやはや・・・

 もちろん「校区」の会長さんは一生懸命なのでしょうが・・・

 ところで、大山さんや石田さんはなぜこんな「暴挙」に出たのでしょうか。
 実は、私以外にもこのようなつるしあげにあった町内会長は何人も出ました。
 やはり私と同様に、出席率・動員率が悪いということで、居残りさせられ、集団で罵倒を浴びせられたのです。一人の町内会長は、心を入れ替えることを誓わされました。
 別の町内会長は、休会して校区と無関係に行事をやっていることをなじられて、やはりつるしあげられました。この人は、町内会長をやめて、別の町内会長に交代しました。
 他にも数例ありましたが、手法はすべて同じだったようです。
 会議で突然追及され、居残りさせられ、つるしあげられるという手法です。
 中国の「文化人革命」時代に、ある日突然悪者にしたてあげられてしまう指導者の話を思い出しました。
 大山さんをはじめとする校区自治協の役員のみなさんは、行政が求める補助金の要綱(行政が定める8つの事業をきちんとやり、校区内の8割の町内を組織できれば補助金を受け取れる。第1章参照)どおりの模範的な活動をきっちりそろえようとしています。それを補助金目当てだとか私物化したいのだと悪口を言う人もいるのですが、私は必ず
しもそうは思いませんでした。
 もともと大山さんは、それ以前の自治協の悪いところをただすという姿勢ででてきた会長で、新しい機軸を次々とうちだしていた自治協会員でした。最初に校区の自治協を脱退していった町内会は、「旧弊」扱いされたようで面白くなく、そのあつれきのなかで抜けていきました。
 いわば改革者として登場したのが大山さんでした。なので、嫌がる人も多いのですが、逆にファンもいるのです。
 しかし、行政が求める「町内会・校区像」に強く縛られ、それを無理矢理にでも実現しようとして、規約や威嚇まで使うようになってしまったのでしょう。ふと、ロシア革命がその後、スターリン体制の恐怖政治になってしまったことが思い起こされました。
 大山さんは「行政の下請け」であることを極端にまで推し進め、いっさいのボトムアップを否定してしまった存在だということができます。その中でおきた悲劇ではないかと、私は今では考えています。
 つるしあげをうけて、日付も変わりかけた夜道を、私は自転車をこぎながら、「もう自治会長をやめよう」と心に決めていました。ここまでの負担を背負ってやるものではないと思ったからです。

 これは町内会が「住民の親睦を深める」「住民の困りごとを行政などに伝える」という役割と、「行政の下請け」の役割の二面があり、その後者の面だけをやろうとした悲劇かな。

 なお、紙屋さんはこの本の中でも「私はコミュニスト」と定義しておられます。
 そして、当然のことながらコミュニストとコミュニティは語源は同じですね。

 で、紙屋さんは会議を開いて会長をやめようとしますが、後を引き継ぐ人が誰も出ません。そこで町内会を解散することにしようとしますが、参加者のお一人が「祭りだけでもできるような会を作りませんか」と提案され、現在の町内会は休止して、新しい会を作られます。その会は

   ・加入の強制なし
   ・加入者もできる時にできることだけすればいい
      合い言葉
     「『今回は遠慮させてもらいます』
      『当分は忙しいです』を気軽に言える自治会に」
   ・町内会費なし(それまでの町内会費には手をつけない)
   ・全員まったくのボランティア
     (好きでやっているのだから、
      やっていない人に文句は言う必要ない)
   ・もし「いやもっときちんとした町内会にしよう」という
    人が出てくれば、休止した町内会の会費を引きついで
    やって下さってよし。(「言い出しっぺ」の原則ですね)

 なお、町内会・自治会は「強制加入では無い」という最高裁判例が出てるそうです。

 また町内会・自治会や「絆」が息苦しいものになるのは、「負の社会関係資本」と言える。社会関係資本というのはいいものばかりではない。その典型例は戦時中の町内会かも。

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2017年03月26日のつぶやき














































































































































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2017年03月26日

2017年03月25日のつぶやき












































































































































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2017年03月25日

オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳




オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳

 なるほどなあ、の連続でした。
 しかし、これをお医者様が実践に使うのはかなりたいへんかもしれない。
 本の中でもそれが書かれてます。
 ひょっとしたらケースワーカーや相談支援でのほうが似たような形を取れるかもしれない・・・しかしむつかしいかなあ・・・


 太字(ボルドー)が本からの引用

 セイラック教授はオープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」であることを繰り返し強調しています。


で、その源流はバフチンとヴィゴツキーだって。


1895-1975
 ロシアの文芸評論家、言語哲学者。
 言語現象の原理探究を生涯のテーマとする。
 言語を発話者個人の内面に帰属させる見方と、
言語を個人から自律した抽象的構造体とみなす
構造主義という当時の言語学の二大潮流を同時に
批判し、社会と集団の観点から言語現象の本質
として「対話性」を見出した。ポリフオニーや
ヘテログロシアなどの概念はこうした文脈から
登場したものである。



1896-1934
 旧ソヴィエトの心理学者。
 幼児の発達研究で大きな貢献を残した。彼の研究によれば、
@人間の精神は記号、特に心理的道具としての言語を
 使用することをその機能としており、
A精神発達の過程において、まず人々とのあいだで
 対話を通して記号使用を学び、そのあとに個入内での
 言語使用つまり内言が可能になるという順序をたどる
 (社会的水準から心理的水準へ向かう発達)。
 この研究によって、個人の内面の発達から社会性の
獲得へ向かうと考える当時の発達観を覆した。
 38歳の若さで亡くなったために、研究としては不十分
な点が残るとされるが、この点に関して心理学者
ジェームズ・ワーチがバフチンの理論で補完できると主張し、
ヴィゴツキーとバフチンをつなぐ研究を行っている。この
研究がオープンダイアローグに流れ込んでいる。


やり方について

 患者もしくはその家族から、オフィスに相談依頼の電話が入ります。このとき、電話を受けるのは医師だったり看護師だったり心理士だったりPSWだったりとさまざまです(実際には看護師が多いようです)。いずれにしても、最初に相談を受けた人が責任を特って治療チームを招集し、依頼から24時間以内に初回ミーティングがおこなわれます。
 参加者は患者本人とその家族、親戚、医師、看護師、心理士、現担当医、そのほか本人にかかわる重要な人物なら誰でもいいのです。このあたりの非常に「オープン」なところが、この治療法の特徴です。このミーティングは、しばしば本人の自宅でおこなわれますが、場所は別にどこでも構いません。初期のオープンダイアローグは病棟でおこなわれていましたし、ホテルの一室でおこなわれる場合もあります。


 これを読んだ時、「絶対日本じゃ無理じゃん。予定の調整、人件費、その他その他・・・」と思いました。しかし、斉藤さんが台湾でワークショップを受けた時、ミーティングに参加するスタッフの人数について質問したところ、あれ?該当箇所を発見できない・・・確か「一番いいのは3人」と回答があったと書いてあったと思うのだが。
 3人ならなんとかできるかも、と思った。
 例えば相談支援では「支援会議」だったらもっと集まるし、介護保険のケアマネさんの「担当者会議」でもそのくらいは集まることは普通だろうし。

 そして、初期の密度の高い対応によって、結局コスト(それはご本人のQOLもだし、専門家の人件費もだし)は安くつく、と。


 そして、何かが決定される場合は、必ず本人のいる場で、と。

 薬物治療や入院の是非を含む、治療に関するあらゆる決定は、本人を含む全員が出席したうえでなされます。スタッフ限定のミーティングなどはいっさいありません。本人と家族、関係者ら全員の意向が表明されたのちに、治療の問題が話し合われます。
 仮に患者が入院した場合でも、同じ治療チームがかかわりを持ち続けます。こうした心理的連綺陛は、患者や関係者の安心を支えるうえで、きわめて重要な要素です。緊急事態が去り症状が改善するまで、同チームのかかわりは、本人のみならず家族に対しても続けられます。発症直後のような緊急時に、密度の高い介入をおこなうという点で、オープンダイアローグは通常の家族療法とは大きく異なっています。

 そして

 クライアントやその関係者など、すべての参加者には、平等に発言の機会と権利が与えられます。ミーティングにはファシリテーターはいますが、対話を先導したり結論を導いたりするような「議長」や「司会者」はいません。ちなみにファシリテーターとは、中立な立場を保ちながら折に触れて話し合いに介入し、議論がスムーズに進行するよう調整しながら、相互理解に向けて、議論を広げたり深めたりするような役割を負った人のこと指します。
 また原則として、話し合いの最中には、スタッフとクライアントのあいだにもはっきりした区別はもうけません(後述する「リフレクティング」の場合などは別ですが)。ただしこれは、「専門家」や「患者」の立場を否認する、という意味ではありません。オープンダイアローグでも患者(patient)ないし専門家(professional)という言葉は普通に用いられます。
 重要なことは、オープンダイアローグにおいて「専門性]は必要ですが、「専門家が指示し、患者が従う」といった上下関係は存在しない、ということです。オープンダイアローグとは、専門家と患者が、完全に相互性を保った状態で対話をすることなのです。


 そして「反薬物治療」や「反精神医学」でないことを、斉藤さんは強調している。
 いや、ほんま、勘違いして「褒める」つもりでとんでもないことを言い出す人がいるだろうことは想像に難くないからなあ。

 で、毎回、最後にファシリテーターが結論をまとめるのだけど、「何も決まらなかった」ことを確認する場合もあり、また1回は1時間半程度で十分とのこと。

 なお、リフレクティングというのは、ご本人の前で専門家同士が話し合うこと。「自分の目の前で自分の噂話をされる」という状況に近いと斉藤さんは書いてる。

 後ろのセイラックさんの論文を訳した部分で例が出て来ます。
 この対話の中のTMとTFがやりとりしている部分がリフレクティングにあたるそう。

M(息子)レスリングをしてたんです。
TF(女性のセラピスト)本気のけんかだったんじやないの?
M  誰かを戦わせるみたいな……
TM(男性のセラピスト)どっちからつかみかかったの?
M  父がキレてきたんですよ。
TM どっちから始めたのかな。
TF  どっちが押さえ込んだの?
M  え?と、僕が父の首根っこを押さえました。
Mo(母親)そうでしょ、私が言ったでしょ……(笑)
M  体を鍛えたことはなかったけど、がっちりヘッドロックを
  決めてやりました。父は何年もボディビルをしてたし、
  僕はろくに運動したこともなかったんで、ちょっと怖かったけど。
TM(他のチームメイトに向かって)うん、これはあれだね、
  きみんとこの子が怒ったときの……
TF っていうかね、お父様も息子さんがこれだけ強くなったことを
  自慢に思ってもいいんじやないかしら……
TM うんそうだけど、でも自分かつかみかかられてごらんよ……
TF それでもね、お父様は、息子さんがレスリングで負けない
   くらい大人になったことを自慢していいわよ……
M 事実を話して構いませんか?
TF 息子さんの言ったことについて考えてたんだけど、
  あの夢がすべてかどうかについて……
  でも彼のご両親とは議論になっていた。
M けれど、あなたにも考えてほしい……
TF こんなことは思春期くらいじやよくあるわよね。
  何にでも反対してけんかしたりとか。
TM そう、こういうことはつまり……
TF  ……遅い思春期。
TM 急成長というか、別の形の?
TF 別の形ね。私が思うに、お父様が数学教師だったりすれば、
  発狂しそうなくらいの難しい状況になるわね、もちろん。
M そう、それは2=1にしようとした僕にとって
  最後の藁一本〔訳注jみたいなものだった。
TF そうね、最後の藁に違いない。
M 父さんは僕が殺意を持っていると誤解して……

訳注
「最後の藁一本が、らくだの背骨を折る]から。


この手法を支える理論

1.詩学(poetics)
  1)不確実性への耐性(あいまいさに耐える)
  2)対話主義
  3)社会ネットワークのポリフォニー
2.ミクロポリティクス(micropolitics)

   斉藤さんはミクロポリティクスについて制度的背景のこと、と書いてはる。
   このYahoo!知恵袋を読むと、曖昧模糊としたものに対処しているうちに
   明確な形をとってくるもの、とか書いてるので、あれこれやってみてる
   うちにやることが変化しはっきりしてくる、みたいなことかな。
   最初から明確なやり方なんか決まらないよ、という。




 なお、斉藤さんはACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)との親和性も書いてはる。

 そしてアメリカは保険会社が主導権を握っているマネージドケア・システムの弊害で著しく困難ではないかとのこと。



 しかしアメリカでもオープンダイアローグを研究している方はおられ、さすがマニュアルの国、マリー・オルソン教授は守られるべき基準として12項目を挙げて下さっている。

1.ミーティングには2人以上のセラピストが参加する
2.家族とネットワークメンバーが参加する
3.聞かれた質問をする
4.クライアントの発言に応える
5.今この瞬間を大切にする
6.複数の視点を引き出す
7.対話において関係性に注目する
8.問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9.症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10.ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11.透明性を保つ
12.不確実性への耐性



 また、「浦河べてるの家」と似ているところも指摘してはる。
 私も「三度の飯よりミーティング」とか「当事者研究」でご本人にいろいろ語ってもらうところとか似てるなあ、と思うもんな。
 また幻聴を「幻聴さん」と名付けるところとか、後で出てくる「外在化」して対処しやすくする、というのと同じなのかな。でもって、これは妖怪ウォッチでいろんな妖怪が出てくるのと同じなのかもしれない。


 あと、上記の対話例のようにトラブルの中にも「いい芽」を見つけたりはするのだけど、「困ったこと」をことさら「肯定的言い換え」をしたりはしない、というのが印象に残りました。確かに、それはご本人を「置いていく」ことになりかねないもんな。


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2017年03月24日のつぶやき




















































































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