表題の言葉は、下のエディーさんの意見を要約するとこうなるかな、と思ってまとめた言葉です。
失敗から学ばないと成長はできない。最悪なのは自分で決めるべきことを決めず、選手に任せてしまうコーチだ。
実際、コーチの失敗を選手のせいにするケースも珍しくはない。
試合前にコーチが多くの選択肢を示し、選手はその中のひとつのプレーを実践したにもかかわらず、結果を出せないと選手のせいにして叱責するコーチがいる。
選手はコーチが示した選択肢の中から選んだのだから、怒られる理由が分からずに混乱してしまう。
「能力のないコーチは、オプションを提示しすぎるんです。選手に決断を促すのではなく、迷わせてしまう。混乱している選手は、傍からは懸命にプレーしていないように見えてしまうものです。それでまた、コーチに怒られる。でも、アスリートはプレーするにあたって100%全力を尽くすものです。それが100%に見えないときにはふたつの理由しかありません。フィジカル面で疲労が起ぎているか、メンタル面で混乱しているかのどちらかです」
この点では、私は、う〜〜ん、う〜〜ん、と悩んでしまいます。
私がスタッフさんを悩ませることがあるらしい。
「『こうしたらいい』と言ってくれたらいいのに言ってくれない」
「『俺はこうした』という言い方をする」
もちろん、心当たりありまくりです。
「こうしたらいい」というのは、もちろん基本的な視覚支援や、音声言語で話しすぎない、とかはもういつも同じことを繰り返し言っています。しかし、それは「フォーマット」であって「コンテンツ」では無いんだよね。
特に、日々、刻々と目の前の子どもは変わり、状況も変わっていくわけです。
もし、何かトラブルというか困ったことが起きた時、あらかじめ作っておいた絵カードが役に立つ、なんてことはほとんどありません。(もちろん無いわけではなく、ある意味、それで対応できることも多いのだけど、本当にたいへんな時には無力なこと、あるいは場に合わないことが多いです)
また「褒める」内容だって、日々、刻々と変わっていく。
だから、私はコミュメモに即興でいろいろ書いて見せることが多い。
その内容は、その時々によって変わってくるから、自分で考えてもらうしかない。
いちがいに「こうしたらいい」とは中身までは言えないわけです。
ただ「描いて・書いて見せる(指示する、ではなく、コミュニケーションする)といい」というのは常々言ってますが。
また、「俺はこうした」の場合、それにくっつけて「俺のマネはするな」まで言ってしまうもんなあ・・・
確かにそう言われても困るというのはよく理解できる。
例えばね、
「まずは黙って何もしないで見ておいて」
次に
「どうしていいかわからないようだったら絵カード(文字つき)を見せて(お子さんによっては声かけもあり)」
次に
「指さして」
次に場合によっては
「ちょんと押して(あるいは引っ張って。これは方向づけるだけ)」
とかまではお願いするけど、それ以上の
「強く押す」「強く引く」とかの場合、それが必要な状況になったら私が出ていく。
で、その子との関係性とかも考えながら、力も加減しているんだけど、それは外からは見えないし、体感できるもんではないから、下手にマネすると危険だから「マネしないでね」になるんだけどね。そして関係性というのはスタッフ一人ひとりでも違うし・・・
あと、私がその時「どんなことを感じ、考えながらやっているか」も説明はしてきてるけど(例えば「なんでこのお子さんをこの状態にしてきてるんだ」という悔しさとか・・・)それもわかりにくいもんだろうし。
そして、そういうのは一時的なもので、私が出ていくことができるだけ必要無いようにしていくのね。
しかし、う〜〜ん、特に「こうしろと言わない」という部分は、判断し、決断するくせをつけて頂きたい、という意図もあるのだけど、難しすぎるのかな・・・
あっと、ただ、私、スタッフさんの失敗を怒ることは少ないと思うのだけど。
しかし、スタッフさんが迷ってパフォーマンスを下げるなら、私の責任だな。
posted by kingstone at 22:12|
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