※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年04月28日

2016年04月27日のつぶやき




























































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2016年04月27日

4月27日(水曜日) 命を終ふる大事、今こゝに來れりと(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は曇り後雨。
 わっ、そうなんか・・・
 予想最高気温22℃
 カッターシャツで十分やな。



・ 第百三十四段

 高倉院の法華堂の三昧僧、何某(なにがし)の律師とかやいふ者、ある時、鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌(かたち)の醜く、あさましき事を餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。

 賢げなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌(かたち)醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし、貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌(かたち)を改め、齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑にゐて身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。

 すべて人に愛樂(あいぎょう)せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才(たいさい)に交はり、不堪(ふかん)の藝をもちて堪能の座に連なり、雪の頭(かうべ)を戴きて壯(さか)りなる人にならび、況んや、及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、來らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事、今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり。




ここから最後の段落の現代語訳を取り出してみます。

まったく、人に愛されていないというのに、人と交わろうとするのは恥である。容姿が醜いということで気後れしながら仕事をして、無知であるのに偉大な人たちの中に交じり、未熟なのにしたり顔をして、白髪頭で年老いているのに若い人の中に交じり、できもしないことを望んで、叶わないことが分かっている事に悩み、来るはずもない人を待ち、人を恐れて人に媚びている。これは、他人が与える恥ではなくて、自分の貪欲さに引き寄せられて、自分で自分を辱めているのである。貪欲の心が収まらないのは、命が終わる瞬間が、今ここに迫っているという実感がないからである。


ってことは、
「命を終ふる大事、今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり」ってのは、
「もう死ぬとわかっていたら、いろいろできるよ」みたいなことか。


しかし徒然草のほうは、例としている「恥ずかしい行為」というのが全然恥ずかしくないんでないかな。
で、兼好法師の言ってるのは「何もするな」に読めてしまうのだけど・・・
で、やって恥ずかしいことの具体例は全て「いやあ、これやってもいいやん」と思えることばかりなのだけどな。

 さて、今日は病院に行ってから、仕事です。

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2016年04月26日のつぶやき








































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2016年04月26日

4月26日(火曜日) 夜の御殿は東御枕なり(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は晴れ後曇り。
 予想最高気温は24℃。
 でも大阪は27℃になってます。
 なんで3℃も差があるんだろう?



・ 第百三十三段

 夜(よ)の御殿(おとゞ)は東御枕なり。大かた東を枕として陽氣を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕、常のことなり。白河院は北首に御寢なりけり。「北は忌むことなり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拜は辰巳に向はせ給ふ。南にはあらず。


 東西南北が出てきますね。

Wikipedia 方位磁石(文の順序を歴史の古い順に変えています)
 原型となるものとしては、方位磁針相当の磁力を持った針を木片に埋め込んだ「指南魚」が3世紀頃から中国国内で使われていた。指南魚を水に浮かべることで、現代の方位磁針とほぼ同様の機能を実現する。名前に「魚」とつくのは、多くの場合木片を魚の形に仕上げ、魚の口の部分が南を向くようにしたもの(文字通り「南を指す魚」=「指南魚」)が使われていたため。
11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』、正確には「真貝日誌送」にその記述が現れるのが最初だとされる。沈括の記述した方位磁針は24方位であったが、後に現在と同じ32方位に改められた。
方位磁針の改良によって航海術は著しく発達し、大航海時代が始まった。

 それ以前から太陽の出る方向、沈む方向というのは区別がついていただろうけど、道具を使ってはっきり指し示すことができるようになったのは3世紀頃からなんだな。

 しかし兼好法師の頃でも「○○に足を向けて寝る」が○○に対して失礼だろ、とかいちゃもんをつける人がいたんだなあ・・・
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2016年04月25日のつぶやき










































































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