ドイツの首相 から
1923.8.13 グスタフ・シュトレーゼマン内閣
1923.11.30 ヴィルヘルム・マルクス内閣(1次・2次)
1925.1.15 ハンス・ルター内閣(1次・2次)
1926.5.12 ヴィルヘルム・マルクス内閣(3次・4次)
1928.6.12に終わる
この間、いずれも外相はシュトレーゼマン。
そしてこの時期、ワイマル共和国はいちじるしい経済復興で世界の注目をひく。
経済は復興していったが、政情は不安定(短期内閣)
再掲
1921年の3月から4月のロンドン会議での決定は1320億マルク。
200億マルクの約6.5倍として、約200兆円!!
(現時点での円換算の額はかなり間違ってるかも)
1924.4 ドーズ案 ドイツに8億マルクの借款を与えてドイツ経済の復興を図る
初年度10億マルク支払い
1928-9年度までに25億マルク
6年目以降は実情に応じて
これを承認するかでもめ、第1次マルクス内閣は倒れる。
1924.5 選挙
極左と極右が進出。
ドーズ案が第2次マルクス内閣で承認される。
1924.12 国会解散。選挙
経済復興が著しかったので社会民主党が回復
ナチスと共産党が激減
(生活が安定すると左右の極端なところが減る)
しかし政権は安定せず
1924.4.1 ヒトラーは要塞禁固5年の刑となったが、
特別待遇を受け、6か月後には釈放。
また裁判の陳述によっても人気が高まる
「ヒトラーほどドイツ人的な思考、感情の持ち主はいない」
として国外追放にはならなかった。
1924の裁判 ナチス党員が、エーベルトは1918.1の
ストに参加したので、国家に対する反逆罪
として訴えた。
実はオップロイテが起したストを止めさせ
ようと参加したもの。
判決はナチス党員は「誣告罪」ではあるが、
エーベルトは当時は反逆罪にあたるとした。
これがエーベルトを痛く傷つけ、1925早々
エーベルトが死んだ。
そのため大統領選挙
(エーベルトは議会で選出された大統領)
1925.5.12 元将軍ヒンデンブルクが大統領に就任
1925.10.16 ロカルノ条約締結
・ドイツはフランスとベルギーに割譲した領土の回復を企てない
・紛争は暴力手段によらず仲裁裁判によって解決される
1926.9.10 ドイツが国際連盟加入。常任理事国になる。
(すごく国際的地位が上昇したんや)
1926秋 国防軍のゼークト失脚。(ヒンデンブルクが罷免した)
国防省のゲスラー失脚。後任はグレーナー。
しかし実権は陰謀家、シュライヒャーに握られていた。