私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年02月13日

ワイマル共和国 林健太郎著 1〜3章



 ふひ〜〜、全然進まないので、まずは1章から3章まで




ワイマル共和国 林健太郎著 中公新書 


1963年11月18日初版

私の購入した本は2014年5月25日43版(!!!)




私、「世界の歴史」とかの著者名で見たことがあったのだけど、Wikipediaを見てみると・・・


この本の出版5年後

「1968年の東大紛争では、文学部長として全共闘の学生に8日間にわたってカンヅメ状態にされ、学生側と団交を行ったが、学生の要求を全部拒否し、剛直な姿勢を貫き通した林健太郎監禁事件)。」


「その姿勢は当の全共闘が後日雑誌などでこれを称賛する内容の談話を発表するほどのもの」


そんなすごい人やってんな。


1914 第一次大戦始まる

1917 社会民主党(エーベルト)・中央党(エルツベルガー)・進歩人民党の3党による「平和決議」

1918.9.29 参謀総長ヒンデンブルク

     参謀次長ルーデンドルフが政府に

     アメリカの収拾案を飲むように通牒を送る

1918.11.4 キール軍港の反乱「労兵協議会」

       次々と他都市でも「労兵協議会」ができる

1918.11.7 ミュンヘン革命

1918.11.9 ベルリン革命。エーベルトが首相に。

1918.11.10 ヴィルヘルム2世オランダへ亡命。

      ドイツ帝国倒れる


社会民主党は、マルクス主義政党ではあるが、前年のロシア革命を見て革命(社会の混乱)を嫌っていた。


1918.11.11 エルツベルガーが仏のフォッシュ元帥の前で休戦条約調印


1918.11.12 政府が施政方針宣言

     「革命から生まれた政府は純社会主義政策をとり・・・」

      から始まるが、

      その後出て来る具体的プログラムは

      特に社会主義的というわけではない


・戒厳状態の廃止

・集会結社の自由

・検閲の廃止

・戦時中停止されていた労働者保護法の復活

・社会政策の一層の拡充

・近い将来における8時間労働制の施行

・選挙規定(つまり民主主義的選挙)


確かにこれを「社会主義的」とは言えんなあ・・・


 また左派は「8時間労働」なんか協約で決められたら困ると思っていたと。労働者の不満が無くなると革命できなくなるから・・・って、おい。


で、社会民主党は選挙を早くしたかったのにオップロイテは労兵協議会(ロシア語ではソビエト。ドイツ語ではレーテ)でやりたがった。(しかしそもそもマルクスもエンゲルスにもそんな考えはなかったし、レーニンもソビエトを重視した後、他党派が強くなるとだんまりをきめこみ、ソビエトの権力を握ったらまた「全ての権力をソビエトに」と言いだしたという・・・結局権力を取るか取らないか、という話になんねんな・・・)


 でも、ドイツでこの頃たくさん生まれた労兵協議会の多くは決して極左的な考え方ではなかったとのこと。


1919.1.5〜1.12 1月蜂起(スパルタクス団蜂起とも呼ばれるが林さんはこの呼称を取らない)


 スパルクタス団は、デモとか暴動とか派手にやって権力をとろうとした。

 オップロイテはもろ秘密裏に準備して武力革命で権力をとろうとした。だからスパルクタス団みたいに派手な動きは迷惑だった。

(で、どっちも選挙には反対)

 しかし共産党とオップロイテの呼びかけで1月蜂起が起こってしまい、その動きの中でスパルクタス団は鎮圧され、リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは捕らえられ虐殺された。(なんのこっちゃ・・・なんか祭りじゃ祭りじゃと盛り上がって一気につぶれたというか・・・日常・暮らしにはつながらないというか・・・)


 1月蜂起の鎮圧の最高指揮官を委嘱されたのはノスケ

「だれかが悪党にならなければならぬ。それを引き受けよう」

そして「人殺しノスケ」の汚名を一身に浴びることになる。


これで社会の前面から消えていた軍隊が、またその威力を再認識された。また兵力が足りないということで義勇軍を募ることになり、それがナチへと続いていく。


当時の政党


ワイマル初期政党.jpg




   1871年1月18日から1918年11月9日まで存続した

   つまり、ドイツ帝国は明治維新(大日本帝国)より後に生まれた



   ワイマル共和国の時代から続いてて、

   今も連立内閣を構成してるんやね。



   キリスト教民主同盟(CDU)党首

   今のドイツの首相


キリスト今日民主同盟(CDU)は西側では1947年にコンラート・アデナウアーの主導下に作成されたアーレン綱領が党としての一体性をもたらした



   もともとドイツ中央党にいた。

   1949年から1963年に西ドイツ首相。



   カトリック政党



1910年3月6日,ドイツ帝国の左派自由主義者から成る自由思想家人民党,自由思想家連合およびドイツ人民党の3者が,保守勢力に対抗して結成した政党。社会民主党に接近し,皇帝の権力を押えて議会主義を推進することを目標とした。





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2月13日(土曜日) 定まれることにはあらず(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は曇り時々雨。
 予想最高気温が17℃!!
 すごく暖かいな。


原文『徒然草』全巻より


・ 第六十一段

 御産(ごさん)の時、甑(こしき)落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣(おんえな)滯(とどこお)る時の呪(まじない)なり。滯らせ給はねば、この事なし。

 下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑おとしたるを書きたり。


 呪いについて、「別に決まってることじゃないよ」というわけか。
 何となく続けられてるけど、「意味ないじゃん」みたいなこと、いろいろあるわな。


こしき【×甑】
   昔、強飯 (こわいい) などを蒸すのに使った器。
   底に湯気を通す数個の小さい穴を開けた
   鉢形の素焼きの土器で、
   湯釜の上にのせて使った。
   のちの、蒸籠 (せいろう) にあたる。
甑に坐するが如し
   《韓愈「鄭羣贈簟詩」から》甑に座って
    下から蒸されているようである。
    夏の暑さのはなはだしいさまのたとえ。
こしきおとし【甑落(と)し】
   《「甑」と「腰気(こしき)」とが同音で
    あるところからという》天皇家や公家で、
    安産のまじないとして、御殿の棟から甑を
    庭に落とすこと。男子のときは南へ、
    女子のときは北へ落とすという。
こしきたおし【甑倒し】
    酒の醸造元で仕込みが終わったことの祝い。
posted by kingstone at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日のつぶやき




































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