私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年02月23日

出張を譲ろうとした話



「銀の匙」で主人公の八軒君が先生からフランスの農業高校への研修を勧められて、
「でも自分が行くよりチーズ好きの吉野まゆみさんに行ってもらった方がいい」
と吉野に譲る場面が出てきます。

 私もそんなことがあったなあ、と思いだしました。

 1995年の3月。
 校長先生から「機器利用の先進校に見学に行って来い」という出張命令が出ました。
 2人分。
 まあ要するに出張旅費が余ってしまって、翌年に繰り越せないし、なんとか使い切らなければ、という事情があったのでしょう。
 震災の年だったから、いろいろと別に流用すればいいのにねえ・・・

 で、私は出張先は私が既に作っていた人脈から本当に役に立つ先進校と特殊教育総合研究所(現特別支援教育総合研究所)の2か所を選び、しかし行く人間は「私が行ってもしかたないですし、若いもんを2人行かせて下さい」とお願いしました。

 で、一応教頭先生からOKをもらっていたのですが・・・

 翌日くらいに
「1人が若過ぎて、出張旅費が少なくてすむので困る」
という理由でやっぱり私ともう一人の2人になってしまった・・・(涙)

 でも、なんかおかしいよねえ・・・理由が・・・

 今はこんなこと無いのかな?

 当時鉄道はまだ全通していなくて、東へ東へてくてく歩いて、東灘区?芦屋?あたりまで歩いて行った記憶があります。
 オウム真理教の地下鉄サリン事件の前だったか後だったかは覚えていません。


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2016年02月22日のつぶやき










































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2016年02月22日

ワイマル共和国 林健太郎著 第4章(ワイマル共和国成立・ヴェルサイユ条約・憲法)





1919.1.19 国民議会選挙 投票率82.7%(すごい!)
社会民主党 163
中央党 91
民主党 75
国家人民党 44
独立社会民主党 22
人民党 19

1919.2.6 ワイマルで議会招集(ベルリンが不穏だったから)
      社会民主党・中央党・進歩人民党による3党連立
      (1917年の「平和決議」からのつきあいやな)
      議席の8割近く(安定多数)
      大統領エーベルト(社会民主党)
      首相 シャイデマン(社会民主党)
      国防相ノスケ(社会民主党)
      内相 プロイス(民主党)
      無任所相エルツベルガー(中央党)

1919.6.22 ヴェルサイユ条約を議会で承認
      ワイマル共和国から派遣された代表団は
      話し合いに参加させてもらえなかった。
      シャイデマンは反対して辞任。
      民主党は反対して連立から外れる
1919.6.28 ヴェルサイユ宮殿で調印
      ドイツは30年間にわたって賠償支払い義務
      (この時点で全額は決まっていない。
       1921年に決まる予定)
      まずは200億マルクの船舶・石炭その他の物資を交付


 金マルクは2790マルクで1キログラムの純金と等価
 今日(2016年2月22日)の時点で金1gは約4800円。
 1kgだと、4800000円。(480万円)これを2790で割ると1720円ほど。
 200億×1720円=約34兆円!!!
 まあこの式、金マルクなのか、紙幣マルクなのかによっても違ってくるのかな?
 しかし34兆円払え、ってのだったら無茶苦茶なことはよくわかる。

問題点
  1.敗戦国が賠償金を払うのは当時の慣例
   ではあるが、戦争責任という道徳問題
   への還元
  2.連合国側の被った損害を全て賠償させ
   ようとした

イギリスからパリ会議の専門委員として参加していたケインズは1.について反対して委員を辞任し「平和条約の経済的結果」を書いた。
アメリカの政治家も経済条項に強く反対していた。
結局フランスのゴリ押しによってこうなった。
(隣国というのは仲が悪くなって合理的判断ができなくなるのだなあ・・・)

     
1919.8.11 ワイマル憲法調印・制定(プロイスが起草)

 これだけで、1919年の1月から8月までだ・・・

posted by kingstone at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月22日(月曜日) かくな恨み給ひそ(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は曇り。
 予想最高気温は10℃。
 お日さまが照らなかったら寒そうやなあ。


原文『徒然草』全巻より


・ 第六十九段

 書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己等(おのれら)しも、恨めしく我をば煮て、辛(から)き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆がらのはらはらと鳴る音は、「我が心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

 
 う〜〜ん。
「力なし」は「どうしようもない」「やむを得ない」だから
「豆が炊かれるのは、しかたがない。恨まないでね」
という意味になるから、う〜〜ん「しかたがない」というような問題か?


ちから−な・し 【力無し】形容詞ク活用
   どうしようもない。やむを得ない。
posted by kingstone at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日のつぶやき




















































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