私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年02月27日

2月27日(土曜日) 生を貪り、利を求めてやむ時なし(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は晴れ後雨。
 予想最高気温は14℃。
 これは暖かい・・・はず。





・ 第七十四段

 蟻の如くに集りて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。貴(たか)きあり、賎しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、歸る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り、利を求めてやむ時なし。

 身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ、たゞ老(おい)と死とにあり。その來る事速かにして、念々の間に留まらず。これを待つ間、何の樂しみかあらむ。惑へるものはこれを恐れず。名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。愚かなる人は、またこれをかなしぶ。常住ならんことを思ひて、變化(へんげ)の理を知らねばなり。


「生を貪り、利を求めてやむ時なし」ってのは、特に評価しているわけではなく、ただ「そうである」と言ってるだけなのかな?後ろを見ると評価も入ってるような気はするけど。

 でも、ほんと当時
「蟻の如くに集りて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。貴(たか)きあり、賎しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、歸る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り、利を求めてやむ時なし。」
な人たちの誰かの子孫なんだよね。私も。もちろん家系図なんて祖母・祖父まであたりしか辿れないけど。

 なんか、そのわらわら動きまわっている人たちの子孫だと考えていくと、いやあもう「それでいいんじゃね」という気持ちになってくるなあ。

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2016年02月26日のつぶやき






















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2016年02月26日

2月26日(金曜日) 世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報は晴れ時々曇り。
 予想最高気温は10℃。
 昨日の最高気温が8℃だったから少し暖かいか。
 昨日は、春の日差しに騙されて、あまり寒さ対策をしなかったら体が冷えて困りました。
 今日は大丈夫かな。




・ 第七十三段

 世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。


 後ろにもっと長々とあれこれ書いてますが、この冒頭に尽きるような気がします。
 私が「かたる」こともね。
 なんせ「嘘つきkingstone」だから。
 そういや、「人を騙す」ことを「かたる」とも言うな。


   @気に入らない。不快である。
   Aつまらない。おもしろくない。
   B不似合いだ。不調和だ。
   C〔連用形「あいなく」「あいなう」の形で〕わけもなく。

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2016年02月25日のつぶやき




































































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2016年02月25日

2月25日(木曜日) 多くて見苦しからぬは、文車の文(徒然草)



 おはようございます。
 天気予報は晴れ後曇り。
 予想最高気温は8℃。
 きのうと同じやな。




・ 第七十二段

 賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石・草木の多き、家のうちに子孫(こうまご)の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書き載せたる。

 多くて見苦しからぬは、文車の文(ふみ)、塵塚の塵(ちり)。


 硯、筆、紙いずれも高価だったろうし、そもそも字の書ける人が少なかったろうな。
 その中で「筆が多い」のは賎しげで、「(相手から来た)手紙が多い」のはいいことだと。
 まあ前者は金にあかせて、って感じはするな。


もずらいとさんからのコメントがつきました

>硯、筆、紙いずれも高価だったろうし、そもそも字の書ける人が少なかったろうな。

 字の書けない人のことは兼好法師も考慮していないと思います。硯は「数」ではなく「端渓の目の多い硯」といった基準がありました。カスを百個もつよりすごいの一個もっていた方が偉かったのです。
 筆はそこまで価格差がないので数勝負になったのでしょうが、「筆を変えて細工する」のはダサかったのです。
 健康の思想は「シンプル・イズ・ベスト」です。


もずらいとさん、どうもです。

>「端渓の目の多い硯」

ふむ。「端渓」という言葉は聞いたことがありますね。
いや、見たことがありますね、だった・・・
Wikipediaの硯の項目を見ると「端渓」って「たんけい」と読むんですね。「ずいけい」かと思ってた・・・

石眼は一種の含鉄質結核体であることが実証された。つまり酸化鉄などの鉄の化合物が磁気を帯びて集まり形成されたものである。

磁気で集まって来るのがそのまま石の状態になってるって、面白いなあ。

で、Google検索したら、右上に出てくるこの硯は162万円。



>「筆を変えて細工する」のはダサかった

なるほど。
弘法 筆を選ばず
ですな。



posted by kingstone at 07:16| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする