私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2016年01月11日

田島隆・東風孝広 (「調べる」論 木村俊介著より)




「調べる」論 木村俊介著
2008年から2011年にかけてインタビューしたもの

田島隆東風孝広
カバチタレ!の原作者と作画者

田島隆さんってナニワ金融道の原作もしてたんや。
で、東風孝広さんは青木雄二さんのアシスタントをしていた、と。
なんか東風さんのWikipedia項目は削除依頼がされてんねんなあ・・・

 田島さんのWikipediaにも、子どもの頃、母親がDVを受け、田島さんが虐待されていたことが書かれています。

「『カバチタレー・』でDV編を手がけていた頃は、当時の担当編集者が、わざとぼくの子どもの頃のトラウマを思い出させるようにしつこく水を向けてきたんですね。それで当時の記憶とともに感覚までよみがえってきたんだけど、思い出すと気持ちが悪くなってしまって。
 さらに東風と一緒に当時ぼくたち親子が住んでいたアパートに取材にいき、それをもとに東風が当時のぼくの家庭の様子を再現した。思い出したくもない記憶を克明に引き出して作品を作ったのですが、その原稿が「モーーニング」に掲載されたのを見て吐いてしまいました。」

 きつい話やなあ・・・
 吐くほどになまなましく感覚が残ってるんや。
 うむむむ。
posted by kingstone at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

萱野稔人(かやのとしひと) (「調べる」論 木村俊介著より)




「調べる」論 木村俊介著
2008年から2011年にかけてインタビューしたもの

「知性の本質は、アウトプットに宿るもの」


萱野稔人(かやのとしひと) 哲学者

 全然、お名前が読めませんでした。

「周辺国の労働者と競争させられ、日本の労働者の賃金が低くなる。国内で格差問題とされるこの現象は、国際的には他国との賃金格差の縮小になっています。
 格差の問題は、国内市場を重視したナショナルな問題であり、ナショナリズムを前提としているのに、格差を批判する多くのりベラルな知識人はナショナリズムを批判する。前提と主張を矛盾させたままの言説が日本には多すぎますよね」


 えーーっと、これは、日本の国内の賃金が低くなるということは、世界規模で言うと格差が小さくなるということだ、ってことかな。もちろん高級取りの人とは格差が開く方向に行くわけだけど。

 ちょっと違うのかな?

「ただ、パリで初めて接した若き日本の研究者たちは、みんなラディカルぶっていましたが、主張は上の世代の受け売りばかりでした」
「次第に、日本の論壇で主流とされてきたナショナリズム批判も、知識人が自らの道徳的潔白さを主張するためだけのもので、その立場の前提条件を理論的に検証したものではないとわかってきました」


 いやあ・・・この方、「敵」が多いやろなあ・・・(笑)

「日本で難解とされるドゥルーズの哲学書も、原書では愚直なほど簡単な構文で明晰に書かれています。しかし、日本語で書かれたドゥルーズ論は晦渋なものばかり。そのような体験があってからは『日本の論壇で難しい物言いがされている時は、そもそも論者自身が内容を理解していないのでは?』と疑うようになったのです」

 これは私も特別支援教育の分野でもよく感じることだった。
 ほんと「むつかしげ」なことを言う人には気をつけようと思っている。

「もちろんフランスの思想家の中でもデリダやラカンは非常に晦渋な文章を書くのですが、彼らは難しい文章の割には大したことを言っていません。思想の輸入業者のような研究しかしていないと、そうした難しいだけの文章に幻惑されてしまうのでしょうが、向こうで哲学をやる以上はそういう卑屈な態度をやめて同じ土俵に立たないといけないのです」

 ここに出てきた思想家のことは私は全然知らないのだけど、ラカンはなんか自閉症関連で役にも立たないことを書いている人に援用されてたような気がする。

 私は、いろんな思想とか、自分で頭の中に入れて楽しむ分にはどんなものでもいいと思っている。他人からみてどんなにとんでもないものでも、自分だけで楽しんでるなら問題ない。ほんといろんな楽しみ方があるんだし。

 しかし、それと対人援助に使えるかどうかは全然別問題なので、自分が楽しめるからといって、対人援助をする人に安易に適用させようとしたりするのはやめて欲しい。

「哲学を続けて痛感したのは言葉を使うことの大切さですね。知性の本質は、言葉をアウトプットすることにある。大学での新入生に向けた講義でも、いつも伝えていることです。
 高校までの勉強では、正確にインプットする能力が試されます。しかし、大学、そして社会で求められる知性はアウトプットの能力です。そこでは単に機械的に何かを学ぶだけでは足りません。
 就職活動でもエントリーシートに陳腐なことしか書けない人もいれば、人目を引く文章を書ける人もいる。この差はどこから来るのでしょうか。単なる知識や経験の差からではなく、むしろそれはアウトプットする能力の差から来ています。
 そして、知のアウトプットは言葉を使うことが基本なので、学生たちには、とにかく喋ることからはじめて、最終的には文章にして書くことでアウトプットの能力を高めなさい、と言っています。言葉を使ってアウトプットすることで、はじめて自分の考えていることが明確になったり、ちゃんと物事を理解していなかったことがわかったりする。哲学が知性の根本に関わっている理由がここにあるのです。」


 これは痛感する。
 そしてだんだん、大学や大学院まで「授業」でインプットさせようとする方向になっていないかな。

 いや、もちろんインプットがすごく大事なんだけど、それを自分でどうわかったか、言葉や行動でアウトプットできなきゃ意味ないじゃんね。

posted by kingstone at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国広正 (「調べる」論 木村俊介著より)




「調べる」論 木村俊介著
2008年から2011年にかけてインタビューしたもの

国広正
   弁護士


 ここに書かれていることに従えば、もともと企業関連の弁護士をしていたわけではなく、いわゆる町弁をしてはった。

 そして奥様の留学にアメリカについて行かれた。
 主夫をしながら、いろいろ見てこられたのだけど、その中で連邦政府と州が裁判をしたりしてるのが普通であることがわかったと。

 今の沖縄と国(政府?)との関係みたいなものですね。
 お互いに辺野古基地の埋め立てを巡って訴訟してはる。

 日本だと、上意下達になることが多いけれど、訴訟で決着をつけることが普通に行われているのを見てこられた、というわけですね。


 その後、山一証券に関わり、破綻(自主廃業)後「社内調査委員会」の委員となったことから、コンプライアスの専門家になってしまったとか。

 そして、その山一証券の「社内調査委員会」がのちの「第三者委員会」(コンプライアス調査)の始まり、広がりの元になったそう。

 で、今では企業から「自社の不祥事を調べてくれ」という依頼も来るようになったとのこと。

「ただ、企業はなかなか変わりません。調査を公表しなければ社会的信頼は回復できないと伝えても、今も依頼してきた企業の約三分の二は、公表するなら依頼はできないと言います。「国広弁護士はうちの社風に合わない」と断られたこともある。そんな断り方もあるんですね。」

 で、隠していて、それが後に発覚すると余計にダメージは大きいと。


山一證券


なお、国広さんが調査した調査報告書はこちらに集められています。

調査報告書

中に、
山一証券に関する
「社内調査報告書 −いわゆる簿外債務を中心として−」



「タウンミーティング調査に関する情報提供への御礼と報告書の公表について」
(これはたくさんに別れている)

牛丼チェーン「すき家」の「労働環境改善に関する調査報告書」

なんてえのもあります。
posted by kingstone at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野村萬斎 (「調べる」論 木村俊介著より)




「調べる」論 木村俊介著
2008年から2011年にかけてインタビューしたもの

「過去を調べなければ、美しさは生まれない」

野村萬斎

「のぼうの城」の野村萬斎さん、良かったなあ。




「僕が20代や30代で外の世界に刺激を求めたのは、抑圧から解放されたいという気持ちが強かったからかもしれません。三歳で初舞台を踏んだ頃から、「楽しいもの」とは思えないかたちで、闇雲に狂言の技術をインプットされてきましたので。
 ただ、この抑圧は必要なものでもありました。技術が身につくまでは、個性というのは必要ないのです。ひたすら父のマネをして型をインプットされていく。それらの型を自分の意志で使えるようになるのは、数十年後ですからね。
 僕がはじめて狂言とはこういうものなのかと感じられたのは17歳の時です。『三番叟』の舞台でしたが、舞踏の最中に体が爆発するようで、「狂言の技術によって体を発散させられるのだ」と気がつきました。この公演を機に黒澤明監督に誘っていただいて映画『乱』に出演したこともあり、この頃に「狂言師になろう」と決めたのですが、あれも、長年の父による抑圧やプログラミングがあってこその発散だったと思います。」


 これは人にもよるだろうし、またお父様が野村万作という名人である、ということも大きいと思う。まあ一般の人はマネしないほうがいいよな。

 でも、芸事を身に付ける(それは障害のあるお子さんと関わる教師などの実践の力を磨くこととも同じ)には、一定の型を、抑圧とも見えるもので身につける時期も必要なのはよくわかる。

 で、そこから自由になっていく、いわゆる「守・破・離」はたどる道筋だとは思う。

 ご自身の息子さんに対しては

「息子と自分にとっての時代の差というのは、よく感じますよ。今は親がいなければ子どもは外で遊べないし、遊びの主流は密室でのゲームで、「ガキ大将」なんて言葉は死語になった、個人的過ぎるような時代でしょう? 他人と一緒に体を使って成長するという喜びは、今の子どものまわりにはあまりありません。
 しかも、インターネットを開けば、一見何をしても自由で、どんな嗜好でも簡単に仲間が見つかるから、秘密も抑圧もないかのように見えているわけです。ただ、抑圧がいいとは言いませんが、抑えるものがないぶん、大きい発散もないという、振幅のせまい時代にも見えるのです。
 これは芸にも当てはまることなので、注意してはいますね。それから、父はほんとうに厳しかったので、息子にはもう少し狂言は楽しいものと思ってもらえるような教え方を心がけています。」

というふうに「楽しいものと思ってもらえるよう」と気をつけてはるわけね。


 そういや何度か野村萬斎さんの出ておられたNHK教育(Eテレとはまだ呼んでなかったか?)の「にほんごであそぼ」も見たことあるけれど、面白かったな。

posted by kingstone at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北村明子 (「調べる」論 木村俊介著より)




「調べる」論 木村俊介著
2008年から2011年にかけてインタビューしたもの

「業界の常識を調べ、別の常識を作りあげた」

北村明子
   演劇プロデューサー


1947年生まれとのことで、本文にあった年齢で年表を作ると・・・(だから西暦は間違ってる可能性があります)

    京都で唐十郎の紅テント公演を見てショックを受ける
1967  20歳 京都で劇団くるみ座へ
1969 2年後 東京で文学座研究所に
    2回結婚して2回離婚
1974 27歳で京都にもどりシングルマザーとして子どもを育てる
1979 32歳から 役者としていくつか仕事をする
     映画制作の仕事も
1985 38歳 野田秀樹の夢の遊眠社から劇団マネジメントの依頼

「当時、人気の絶頂にあった劇団なのに、フタを開けたら30人いた劇団員全員の年収の合計はたった500万円でした。そこで、まずは劇団のどんぶり勘定的な会計を正して、役者たちをテレビ局や映画にどんどん売り込むことにしたんです」

 最初は役者さん、北村さんのとってくる仕事に不満があったみたいだけど

「実力があればいい役を貰えるようになるのだから、はじめはどんな役でも出るべきだ、と役者たちを説得し、マネジメント部が劇団の言いなりになるというこの世界の慣習は変えていきました」

「劇団の売り上げは3年後には5000万円になり、1989年には遊眠社のマネジメント部を独立させ、今も続けている『シス・カンパニー』という会社を設立しました」

 すごいなあ。
 3年で10倍。
 まあでも1人あたりで言うと

5000/30≒167

 だけどね・・・

で、営業をばんばんかけるわけだけど、

「ただ、売り込み営業をやるとは言っても接待はいっさいやりませんでした。キックバックなどの業界特有の不透明な会計は人をダメにしますから。『接待禁止』は今に至るまで大事にしている方針です」

 最初は「これで仕事が取れた!」となっても、結局はズブズブになっていって思うような仕事ができなくなっていくよね。
 私は「緊張関係をもつことが大事」という言い方をするのだけど。

「演劇プロデューサーという仕事をする上で、いちばん難しいのはトラブルの処理です」
「まぁ、いちばん多いトラブルは『役者の文句』で、これは私も役者時代は自分のことだけを考えていたからよくわかりますけど、役者というのは全員が自己中心的なんですね」


これ、別に役者さんだけじゃない、と思うなあ。
で、北村さんは稽古など現場にいるようにして、即時対応するようにしてはると。

「中には、本当に腰を抜かしそうになるようなトラブルもありますが、そもそも現場にいなければ企画全体に責任を持ちようがないわけです。
 それに、トラブルが発生して血が逆流するという感覚も悪くはないんですよ。私の若さの秘訣は、トラブルの中心に放り込まれること、ですから」


 この「トラブルが発生して血が逆流するという感覚も悪くはない」というのも、わかるような気がします。もちろん起こらないように準備はするんだけど、それでも起こってしまうのね。で、そこに飛び込んでいく、で解決すればそれはなかなか悪くない体験です。
 
 ただし、「解決すれば」ですけどね。

 で、シス・カンパニーのマネージャーさんたちには、役者を甘やかさない、馴れ合いにならない、という方針を守ってもらってるとのこと。

 やっぱり「緊張関係」と「現場重視」やな。
posted by kingstone at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ(徒然草)


 おはようございます。
 曇り時々晴れ。
 最高気温11℃。
 昨日とあまり変わらないのかな。
 

原文『徒然草』全巻より

・ 第二十八段

 諒闇(まことにくらし=天子の喪)の年ばかり哀れなる事はあらじ。

 倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾(みす)をかけて、布の帽額(もこう)あらあらしく、御調度ども疎(おろそ)かに、みな人の裝束(さうぞく)、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。


 仮屋にこもる必要があったのか・・・
 まあその他その他いろいろいつもと違う様子はあったやろなあ。


い‐ろ【×倚×廬】
   天皇が父母の喪に服するときにこもる仮屋。

posted by kingstone at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日のつぶやき
























































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする