おはようございます。
天気予報では曇り時々晴れ。
最高気温10℃です。
スタジャンを着ていくか。
いよいよ、今年最後の出勤日です。
原文『徒然草』全巻より
・ 第十四段
和歌こそ なほをかしきものなれ。
(中略)
この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に、哀れに、けしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに」といへるは、古今集の中(うち)の歌屑とかや言ひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがた・言葉、この類(たぐひ)のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。
(中略)
歌の道のみ、いにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや。今もよみあへる同じ詞(ことば)・歌枕も、昔の人の詠めるは、更に同じものにあらず。やすくすなほにして、姿も清げに、あはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひ捨てたる言種(ことぐさ)も、皆いみじく聞ゆるにや。
歌の道だけは、昔に変わらないというけれど、ほんとかな?と。
ここに出てくる人で言えば
紀貫之 866-945
吉田兼好 1283-1352
時代が400年も違う・・・
今から400年と言えば関ヶ原の戦いの頃。
今の私たちと、関ヶ原の戦いの時に生きてた徳川家康が同じ言葉を同じ意味で使うかな?と考えればそんなことは無いだろうと思うなあ。