おはようございます。
いつも、早朝覚醒の時に朝のエントリを書いて、また眠るのですが、今日は真夜中に目が醒めて、眠れないのでいつものやつを書いておこうかと。
もう19日なんですね。
昨日は「あてとふんどしは向こうから外れる」というようなことがあり、対応してました。それで頭の中、だいぶ消耗したので超早期覚醒になったのかな。まあだんどりはしましたけど。
原文『徒然草』全巻より
・ 第六段
我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん。
前中書王(さきのちゅうしょおう)・九條太政大臣(くじょうのおおきおとど)・花園左大臣、皆 族(ぞう)絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なり」とぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御(み)墓を、かねて築(つ)かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。
こ、これは・・・
子孫が絶えた方がいいという意味か。
で、それは「末の後れ給へるは、わろき事なり」だから、後ろの代になるほどえらくなれなかったりするのが悪いことだから、って意味か???
う〜〜ん、う〜〜ん。
もちろん子は授かり物であるとして、あればよし、無ければそれでよし、だとは思うけど、あったらあったでまあ「面白い」とは思うんだけどなあ・・・(もちろんいろんな心配ってのはあるんだけどね)