私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年12月02日

ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり 明石和康著(1)





ヨーロッパがわかる 明石和康著
起源から統合への道のり

 ヨーロッパの始まりと、統合されたり分裂したりを有史以来現在までを一気通巻で説明しようと言う・・・岩波ジュニア新書なんだけどね、私みたいな歴史を知らない者にとってはわかりやすい本でした。

 でも2013年12月20日に第一刷発行なんだけど、その後に事態はものすごく動いてるなあ・・・


ヨーロッパを地理的に大きく分ける

1.ドナウ川以南の地中海沿岸地域
   暖かくて住みやすいが、土地はそれほど豊かではなく、資源も乏しい

2.ライン川流域を中心とする西ヨーロッパ地域
  スカンジナビア半島や大ブリテン島も含む
   比較的温暖で森林・地下資源があり、産業発達の中心   

3.ロシア平原部や東ヨーロッパ地域
   冬は寒いが肥沃な土地が多い

ヨーロッパという言葉の起源

いろいろな説があるが・・・

・ギリシャ神話
 フェニキア(今のレバノン)に「エウロペ」という美しい王女がいてゼウスが誘惑した

・フェニキアで「夕暮れ」「夕闇」「日の沈む土地」という意味の「エレプ」から来ている
 (「日の昇る地」は「アス」と言い、アジアの元となった)

 昔の人にとっては「日の没する地」とか「日の昇る地」とかいうの、ごく自然だったんだな。


ギリシャ

紀元前776 第1回オリンピック
紀元前500〜449 ペルシア戦争(ギリシャ VS ペルシア)
紀元前490 マラトンの戦い
紀元前469頃 - 紀元前399 ソクラテス
紀元前427 - 紀元前347 プラトン
紀元前384 - 紀元前322 アリストテレス

 プラトンの「ソクラテスの弁明」とか読んだけど、何も頭に残ってないなあ・・・
 ソクラテス・プラトン・アリストテレスの哲学はヨーロッパでは忘れられていたけれど、アラブ世界には残ってて、それがヨーロッパに伝えられて14世紀から16世紀のルネサンス時代に見直されたんだよな。それも十字軍が遠征して戦ったから、それらの文化が伝えられたんだっけ。


ローマ帝国からフランク王国そして神聖ローマ帝国へ

紀元前58〜50 ガリア戦争。
   ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が
   現在のベネルクス3国とドイツ西部を含むガリアを
   平定した。ブリタニア(現在のイギリス)にも2回
   遠征している。(ゲルマン人は東に追い立てられた)
紀元前49 カエサル、ルビコン川を渡る。
   「サイは投げられた」

330 コンスタンティヌス帝が首都をローマからコンスタンティノーブル(イスタンブール)に移す。
395 テシオドウス帝が亡くなり、ローマ帝国を2人の息子に東西に分けて相続させ、東西に分裂。

 ゲルマン人は少しずつローマに入り、傭兵などになっていく。
375 フン族が東ゴート人に圧力をかけ、ゲルマン民族の大移動が始まる。
 東ゴート人・・・イタリア南部に王国を作る
 西ゴート人・・・ブルガリアからイタリアを経てスペインに王国を作る
 アングル人とサクソン人・・・ ブリタニア南部に上陸してケルト人を制服。アングロサクソン人となっていく。ケルト人は北部と西部に追いやられそれぞれスコットランドとウェールズになっていく。
 ランゴバルト人・・・イタリア北部に王国を作る
 フランク人・・・ガリア北部にフランク王国を作る
 スラブ人・・・ゲルマン人がいなくなった東ヨーロッパに定着

476 西ローマ帝国滅亡。ゲルマン人傭兵隊長オドアケルの手で。
   フランク王国が西ローマ帝国を継承。

711 イスラム勢力がイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼす。(古事記が書かれた頃・・・)
   その勢いでピレネー山脈を越えて来たイスラム勢力を
   フランク王国のカール・マルテルが撃退した。
   カール・マルテル→ピピン→シャルルマーニュ(カール大帝)
800 シャルルマーニュの戴冠
843 ヴェルダン条約。フランク王国の3分割。
   東フランク→ドイツへ
   西フランク→フランスへ
   中部フランク南部→イタリアへ

962 オットー1世(東フランク)がローマ教皇ヨハネス12世から戴冠。
   神聖ローマ帝国の始まり。

 わお、これで1000年以上経ってる・・・とりあえずここまで。


ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり 明石和康著(2)

posted by kingstone at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

12月2日(水曜日) どんな用事で道を行き交ったのか(「播磨国風土記」より)



 おはようございます。

 今、快晴ですが、だんだん天気は悪くなるみたいですね。


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「播磨を通った古代の道」浅田芳朗 より

風土記が成立したのは、710〜730頃

当時、どんな人たちが道を行き交っていたのか。


古墳造営に関わる人

この頃、各地に大きな古墳が次々に作られた。
姫路あたりだと 国分寺の古墳群 北条の玉丘古墳群
資材を運び、労働力を送り込む


税金を運ぶ人

税金を運び、その後地元に帰る人たち「運脚」


防人の移動


雑徭に行き、帰る人

雑徭とは成年男子に課せられた毎年一定期間の無償労働


ってことは、当時だと私的なことで動く人は少なく律令国家の要請、あるいは地方豪族の命令で動く人が多かったのだな。商売で動く人はどうだったんだろう?まあ記録があるかないか、ってのも大きいかもしれない。
posted by kingstone at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日のつぶやき














































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする