私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年12月29日

「調べる」論 木村俊介著  はじめに




「調べる」論 木村俊介著

 はじめに

「多くの世界の調査の話を聞いて興味深かったのは、語りに落ち着きのない人が多かったことだ。自信がなさそうというわけでもない。単にせわしなく揺れ動いていて「偉そう」ではないのだ。だから調査で予測を越えた発見もできたのだろう」

 これって、要するにADHDな人(診断は受けていないにしても)が多かった、ってことじゃね?


 ある心臓外科医から聞いた言葉

「留学から帰ってくる頃、ドイツの恩師に、ぼくは言葉をくださいと言ってノートを出したことがありました。すると先生が書いてくれたのはドイツ語で『人に頼るな』」
(中略)
「帰国後、これまでの定番の手術とはちがう新しい手術を開発するようになってわかったのですが、前に人のいないはじめての場所に入りこむと、そのうちに『問いも答えもない世界に自分はいるんだ』と気づきます。そこではすべてがはじめてのことであって『わかっている人間』なんていません。だから自分で決断をして自分で自分の問いに答えるしかない、そのことは自分の立場が変わってわかりました」



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12月29日(火曜日) しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ(徒然草)



 おはようございます。

 快晴です。
 天気予報では最高気温10℃。


原文『徒然草』全巻より

・ 第十五段

 いづくにもあれ、暫(しば)し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

 そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」など、言ひやるこそをかしけれ。

 さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人・かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

 寺・社(てら・やしろ)などに、忍びてこもりたるもをかし。



 やっぱ旅することはいいよなあ。
 自分の生活範囲では見ることのできない風習・食べ物・建物とかいろんなもんがあるし。確かに「びっくりしたあ」と目がさめる思いをするな。


びん−ぎ 【便宜】名詞
   @都合がよいこと。好都合。
   Aよい機会。よいついで。
   B手紙。たより。

 なるほど。
「その事かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」

「あんなことやこんなことをちゃんと手紙に書いてね」
ということか。

 で、この頃(鎌倉時代から室町時代にかけて)でも、お寺や神社をめぐるのが、ひとつの旅の形やったんやな。
「忍びてこもりたる」っていうのは外から見てるだけでなく、中で修行させてもらってるのかな?
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2015年12月28日のつぶやき


































































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2015年12月28日

12月28日(月曜日) いにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや(徒然草)



 おはようございます。

 天気予報では曇り時々晴れ。
 最高気温10℃です。
 スタジャンを着ていくか。

 いよいよ、今年最後の出勤日です。


原文『徒然草』全巻より

・ 第十四段

 和歌こそ なほをかしきものなれ。
(中略)
 この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に、哀れに、けしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに」といへるは、古今集の中(うち)の歌屑とかや言ひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがた・言葉、この類(たぐひ)のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。
(中略)
 歌の道のみ、いにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや。今もよみあへる同じ詞(ことば)・歌枕も、昔の人の詠めるは、更に同じものにあらず。やすくすなほにして、姿も清げに、あはれも深く見ゆ。


 梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひ捨てたる言種(ことぐさ)も、皆いみじく聞ゆるにや。

 歌の道だけは、昔に変わらないというけれど、ほんとかな?と。

 ここに出てくる人で言えば

紀貫之  866-945
吉田兼好 1283-1352

 時代が400年も違う・・・
 今から400年と言えば関ヶ原の戦いの頃。
 今の私たちと、関ヶ原の戦いの時に生きてた徳川家康が同じ言葉を同じ意味で使うかな?と考えればそんなことは無いだろうと思うなあ。
posted by kingstone at 06:13| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする