おはようございます。
曇りです。
「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より
天平4年(732年)ないしその1〜2年前に作られた、正倉院文書の史料の中の
「播磨国郡稲帳(ぐんとうちょう)」
に、都から地方へ赴任していく役人、あるいは地方から都に上っていく役人に食料を供給しなければいけないが、その記録が残っている。
3日、かかっている。
播磨国ってのは、今の六甲連山が塩屋で海に落ちるあたりから、兵庫・岡山県境あたりまでだろうから、ざっと50km超くらいか・・・
で、途中の川(千種川・揖保川・夢前川・市川・加古川・明石川)の下流には橋はかかってなかったろうし、海沿いではなく、山側を通って行ったのかな。となると距離はぐにゃぐにゃと長くなりそう・・・
1日20〜30km歩いたのかな。