おはようございます。
天気予報では曇時々雨だそうですね。
最高気温は20℃
ってことは暖かいんだろうな。
「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より
播磨と淡路との関係が深かったことは、日本書紀の神功皇后の伝説からもわかる。ただし伝説であって史実とは認められない。(でも元になるあれこれのエピソードは当時あったことだろう)
神功皇后が新羅遠征に成功して、北九州に引き上げてきて応神天皇を生む。生まれたばかりの幼い応神天皇を奉じて神功皇后が大和へ引き上げてこようとするのを、かごさか、忍熊(おしくま)という二人の皇子(応神天皇の異母兄)が待ちうけていて、大和へ入れまいとする。その戦争の物語のところです。
その時、その二皇子は大和から播磨までやって来て、亡くなった仲哀天皇(神功皇后の夫、つまり自分たちのお父さん)の山陵を赤石(明石)に作ろうとして、「船を齢みて淡路の嶋に融し、その嶋の石を連びて之を造る」(書紀)。明石に山陵を作って、その陵を固める石をどこから取ったかというと、船団を組んで淡路島から運んだという物語になっています。
この伝説のもとになっているのは、神戸市垂水区にある五色塚古墳だろうと思いますが、このように播磨と淡路との連絡が密であったということが、この物語からも想像できるわけです。
へえ。五色塚古墳は地方の権力者のお墓だと思っていて、もちろんそれで正しいのだろうけど、仲哀天皇のお墓説を日本書紀はとってるんだなあ。で造営に必要な石を淡路島から取って来たと書いてあるわけね。
石みたいに重い物は淡路島から海路取り寄せた方が、石をどこかから切り出して、陸路を通って来るよりも、楽で、断然早かったからだろうな、と。