私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年11月21日

11月21日(土曜日) 天皇の権威がまだ行き渡っていない(「播磨国風土記」より)



 こんばんは。

 お昼は、割と暖かかったです。
 今日も、よく仕事をしました。
 クッキングでホットケーキ作りをしていた子どもが、私に持って来てくれました。(大人のうながしはあったのかな?なかったのかな?)




「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 賀古郡(かこのこおり。加古川市あたりか。でも今の稲美町かも。そして今の加古川市あたりが印南と呼ばれていたかも)の条。

 大帯日子命(おほたらしひこのみこと。景行天皇)が印南の別嬢(わきいらつめ)に求婚しに行くために淀川を渡ろうとした。(えらい手前のことから書いてるんだな)紀伊の人が船頭をしていた。天皇が「渡してくれ」と言うのだけど「自分は天皇に仕える者ではない(家来じゃないぞ)」と言って渡してくれない。そこで交渉してお金を払うことで渡してもらえた。

 なるほどねえ。
 今だったら「ご用達」ということで、無料でも喜んで渡してあげるかもしれないけど、播磨国風土記(太政官の命令で書かれたもなのに、こういうエピソードが入ってる)の頃は淀川あたりでも、まだこんなふうだったというわけね。


 



posted by kingstone at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日のつぶやき


















posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

11月20日(金曜日) 「郡稲帳」に見る食事量(「播磨国風土記」より)



 おはようございます。
 ・・・って時刻じゃないか・・・




「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 昨日の、播磨国を3日で通過する、ということが書かれた郡稲帳に、どれだけの量の食料(ってか米を支給したか)というのが出ています。

正六位上 田中朝臣三上という人が太宰府に赴任する時
この人とお供3人。計4人。

食米1斗9升5合(35.1リットル)
        (1日あたり約12リットル)
        (1人3リットル)
        3リットルって・・・
        この中に給与も入ってるのかな?
酒 1斗2合(18.36リットル)
      (1日あたり6リットル強)
      (一人あたり1.5リットル)
      お酒も1人、8合くらい飲んでる。
      飲み過ぎちゃうかな・・・

鋳銭司 八戸史広足
お供1人 計2人

食米 1斗5合(27リットル)
       (1日あたり9リットル)
       (1人あたり4.5リットル)
酒 5升4合(10.62リットル)
      (1日あたり3.5リットル)
      (1人あたり1.7リットル)

有名なところでは宮沢賢治の
「一日ニ玄米4合ト、ミソト少シノ野菜ヲタベ」
ってのがありますが、やはり玄米4合(0.72リットル)ってのはかなり少ないみたいですね。

教えてgoo
「宮澤賢治の「一日ニ玄米四合ト」は食いすぎじゃないか」

しかし今の「斗」「升」「合」と量が違ってるかもしれないな・・・

追記 Wikipediaの「升」の項目を見ると、やはりかなり時代によって変化があるみたい。

「升は元々は両手で掬った量に由来する身体尺であった。当時の升は200ミリリットル程度、現在の升の10分の1程度であった。それが時代とともに大きくなっていき、現在は元々の量の10倍程度になっている。」

 で、この「播磨国郡稲帳」は天平4年(732年)頃の史料だから、Wikiepdiaにある

「澤田吾一は、奈良時代の穀倉の大きさから割り出し、当時の1石として2,800立方寸を得た。当時使われていた尺度から現在の升量に換算すると、当時の1升は現升の0.4升に当たる(澤田吾一『奈良朝時代民政経済の数的研究』、復刻柏書房)。現在、最も信憑性の高いと信じられている升量である。」

という記述に従うと、
1.8リットル×0.4=0.72リットル
(あっ、計算するまでもなかった。4合瓶だ・・・)

で、すべて0.4倍で計算し直すと

正六位上 田中朝臣三上という人が太宰府に赴任する時
この人とお供3人。計4人。

食米1斗9升5合(14.04リットル)
        (1日あたり約4.68リットル)
        (1日1人1.17リットル)今の6.5合

酒 1斗2合(7.344リットル)
      (1日あたり2.448リットル強)
      (1日一人あたり0.612リットル)今の3.4合
       昔のお酒は度数が低かったのかな

鋳銭司 八戸史広足
お供1人 計2人

食米 1斗5合(7.56リットル)
       (1日あたり2.52リットル)
       (1日1人あたり1.26リットル)今の7合
酒 5升4合(3.88リットル)
      (1日あたり1.296リットル)
      (1人あたり0.648リットル)今の3.6合

おかずなしでお米ばかり食べて、ずっと歩いてると、まあこんなもんなのかな。
posted by kingstone at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日のつぶやき








































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

11月19日(木曜日) 播磨通過は3日がかり(「播磨国風土記」より)


 おはようございます。

 曇りです。




「古代からのメッセージ 播磨国風土記」の
「遠い異境への往還 直木孝次郎」より

 天平4年(732年)ないしその1〜2年前に作られた、正倉院文書の史料の中の
「播磨国郡稲帳(ぐんとうちょう)」
に、都から地方へ赴任していく役人、あるいは地方から都に上っていく役人に食料を供給しなければいけないが、その記録が残っている。
3日、かかっている。

 播磨国ってのは、今の六甲連山が塩屋で海に落ちるあたりから、兵庫・岡山県境あたりまでだろうから、ざっと50km超くらいか・・・

 で、途中の川(千種川・揖保川・夢前川・市川・加古川・明石川)の下流には橋はかかってなかったろうし、海沿いではなく、山側を通って行ったのかな。となると距離はぐにゃぐにゃと長くなりそう・・・

 1日20〜30km歩いたのかな。
posted by kingstone at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする