おはようございます。
晴れです。
松前健さんの書かれたところから。
風土記では、昔、オホナムチ・スクナヒコネという神(恐らく、もと二神であったのが、後に一体の神の名と考えられるようになったのでしょう)が、日女道(ひめじ)丘(飾磨郡)の神(恐らく女神)と契り合ったとき、この女神がこの丘に食物および食器・食膳などを作り供えたので、この名がついたと伝えています。この丘は後に姫山と呼ばれ、後に姫路城がその上に建てられました。
風土記では、それほど恐ろしい神とは思われませんが、江戸時代になってからは刑部姫(おさかべひめ)ともいい、ハ天堂ともいい、本丸天守閣の最上階にまつられ、畏れられている神であります。正体は狐だともいい、また十二単衣に緋の袴をつけた美しい姫だとも言われますが、時として身の丈が一丈余りも伸び、天守閣の上に現われたといいます。また年に一度、その城主にのみ対面するなど、巷説が数多く語られ、江戸時代の宮本武蔵伝承などにも出て来ます。実に播磨にふさわしい、烈しい女神なのでしょう。
オホナムチって大国主の命の古い名前と思ってたけど、播磨国風土記ではスクナヒコ(これも別の神様の名前と思ってた)と一つの名前に合体してしまってるんや。そんなことがあるねんなあ。まあ人の記憶はあいまいだし、伝承してる間にくっついちゃったのかな。
でもって松前さんが「おそらく女神」と書いてはるのも面白い。ひょっとしたら「男」の可能性もあるのか。
「古代からのメッセージ 播磨国風土記」
上田正昭監修 播磨学研究所編 より