おはようございます。
天気予報では晴れですね。
石の宝殿(生石神社/おうしこじんじゃ)
有名な生石神社(おうしこじんじゃ)の石の宝殿(ほうでん)です。
周囲の山の写真もあります。
「播磨国風土記」には讃岐から石(石棺を作るため)を運んで来た。それを納める場所が「美保」だ、という記述があります。
JR宝殿駅のすぐ南に「美保の里」というところがあるそう。
そして
原の南に作石(つくりいし)あり。形、屋の如し。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもかくの如し。名号を大石(おほいし)といふ。伝えていへらく、聖徳の王(おほぎみ)の御代、弓削の大連の造れる石なり。
という記述が石の宝殿のことであるそうな。
最後の「弓削の大連」は「物部の守屋」のこと。
聖徳太子の時代に、物部の守屋が造りかけてなぜか途中で置いておいてしまった、という話。
石の宝殿は上面の中央部に上から下に穴が開けられています。これが石室となり、完成したら、下の土台を切って、横倒しにすることで石棺になる予定だったのではないか、ということです。
なお、「生石(おうしこ)」というのは、大石(おおいし)から来ているのかもしれないけれど、「石が成長する」という信仰が古代の人にあり、その意味もあるのかも、ということです。
君が代が「細石(さざれいし・小さな石)」が巌(いわお・巨岩)になると歌っているのも、その信仰ゆえ。
先に、讃岐の石を運んで来た、ということを書きましたが、その時代より後になるのか、石の宝殿の周囲も石切り場になります。「石の宝殿(生石神社)」の写真中にも、ヨセミテにあるエルキャピタンみたいな石の壁(言い過ぎか・・・^^;)があります。
このあたり「竜山石」と言う名で有名な石を産出し、「竜山石採石遺跡」としても知られているそう。