おはようございます。
曇りです。
昨晩あたりからえらく涼しくなってきました。
最近、与謝野蕪村の句を1つずつ紹介していました。
昨日図書館に行ったら、
「古代からのメッセージ 播磨国風土記」
上田正昭監修 播磨学研究所編
があったので、借りて来ました。
2週間で返さないといけないので、蕪村は一時休んで、風土記の方の毎朝面白かったところを少しずつ紹介していけたらと思います。
風土記の成立
713年(和銅6年。奈良時代。遷都から3年後)元明天皇(女帝)の時。
5月2日に「各国に風土記編纂の命令」が出されている。
しかし「詔」(天皇が出す)なのか
「符」(政府にあたる太政官が出す)なのか
よくわかっていない。
上田氏は弁官という役人の出した「下文(くだしぶみ)」であろうと考えている。
平城京に遷都してほどなく命令が出てるんですね。
このあたり、今だと「詔」は無いけど、「法律」か「条例」か「通達」かみたいなところやな。
また「風土記編纂の命令」というものの、実はこの時点では「風土記」という言葉はどこにも出てこない。後世の人がそう呼び出して定着したものだから。
このあたり、「親鸞は浄土真宗という言葉は使っていない」というのにも似てる。
命令の内容
1.地名をめでたい文字で表すようにせよ
2.産する鉱物・草木・禽獣などの品目をあげよ
3.地名の由来を報告
4.その土地が肥えているか痩せているかを報告せよ
5.旧聞遺事(神話・伝承)を報告せよ
715年(命令から2年後) 「播磨国風土記」一番早くできた。
718年(命令から5年後) 「常陸国風土記」
733年(命令から20年後) 「出雲国風土記」
739年(命令から26年後)までに「肥前国風土記」「豊後国風土記」ができた。
713年の命令でできたもののうち、原形がわかるものはこの5風土記だけ。
あとは「逸文(いつぶん。他の書物に少し引用された部分)」でしかわからない。
完本 「出雲国風土記」(ただし写本。原本の残っている風土記は無い)
なお、風土記編纂の命令は、もう一度
925年(延長3年。最初から約200年後やね。)平安時代中期にも出されているので混同しないように。
和銅の風土記を「古風土記」と呼んで区別することもある。