私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年10月29日

10月29日(木曜日) 赤石郡(あかいしのこおり)・明石郡(「播磨国風土記」より)


 おはようございます。

 快晴です。

 10月29日、10月はあと3日。
 10月中にやり切らないといけない書類、できるかな?と心配でしたが、ここに来て、これから新しく書くのは2件、家庭訪問は5件、なんとかいけそうです。土曜日は休めるかな?


赤石郡(あかいしのこおり)・明石郡

谷川健一さんの書いたところから

播磨国風土記には本来播磨は12郡あるのに10郡しか出てこない。
抜けてるのが赤石郡と赤穂郡。
しかし(他の、という意味かな?それとも播磨国風土記?)風土記を読んでいると「赤石郡」「明石郡」が2〜3か所出てくる。

「万葉集」の柿本人麻呂の歌。
(明石には柿本神社がある)

ともしびの明石大門(おおと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
天離る(あまざかる)夷(ひな)の長道(ながじ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ


「ともしびの」は明石の枕言葉なのだけど、谷川さんはもともとは、灯台代わりに松明をたいていた、そのともしびではないか、と考えておられる。

 実は私も、和歌の話の時、「枕詞に意味は無い」」とか解説されてるけど、最初の頃に使った時は意味がちゃんとあったのじゃないかと思っている。後の世には意味がわからなくなって、ただ語呂や語調を整えるだけの目的で使われるようになったんだろうけど。


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」
上田正昭監修 播磨学研究所編 より

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2015年10月28日のつぶやき






































































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2015年10月28日

10月28日(水曜日) 1つ目の鍛冶の神アメノマヒトツノミコト(「播磨国風土記」より)


 おはようございます。

 まだ真っ暗です。


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」
松前健さんのところから

 この風土記には、まだまだ面白い神々の伝承があります。例えば、一つ目の鍛冶の神アメノマヒトツノミコトが、道主日女(みちぬしひめ)という乙女に婚い(よばい)をし、御子を生ませる神話など、託賀郡(たくがぐん。現在の多可郡)荒田の条に見えます。この辺りは、古代の製鉄遺跡として知られています。
遥か遠いヨーロッパのギリシア神話で、鍛冶をする一眼の巨人キクロペスが、水の女神に婚い(よばい)をする話や、北欧神話の一眼の大神オーディンが鍛冶やシャーマンなどと深く結びついていることなどと、国際的視野から考えてみますと・・・


 鍛冶の神がどちらも片目なのは、鉄粉とか鉄屑とかが飛んできて、失明することが多かったからだろうか?

 しかし、洋の東西を問わず、「夜ばい」が子孫を作る手段だったのね・・・


「古代からのメッセージ 播磨国風土記」
上田正昭監修 播磨学研究所編 より

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2015年10月27日のつぶやき




































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2015年10月27日

10月27日(火曜日) アメノヒボコ VS オホナムチ 揖保の地名起源(「播磨国風土記」より)


 おはようございます。

 快晴です。


 松前健さんのところから。

 アメノヒボコは、8千人の軍兵をもち、大船に乗り、揖保川の河口でオホナムチに宿を乞うが、陸上は困るが海中ならと許したところ、ヒボコは剣で海中をかき回して威嚇。相手のオホナムチはその威勢に驚いて、大急ぎでやってきたが、慌てて飯粒(メシツブ)を口からこぼしてしまったので、この地をイヒボの丘と言うようになった。

 あれ?これ、これ上田正昭さんは、

 天日槍命(あめのひぼこのみこと)が粒丘(いひばをか。揖保川河口)まで来て葦原志挙乎命(あしはらのしこをのみこと)に宿りを頼んだが、断られたので天日槍命(あめのひぼこのみこと)は海水をかき回して宿った。

 と書いてはって、相手は葦原志挙乎命(あしはらのしこをのみこと)なんだけどな・・・

10月12日(月曜日・体育の日) 戦争の記述(「播磨国風土記」より)

 ふむ〜〜。どういうことだ。

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