おはようございます。
晴れ。
昼
三好達治
別離の心は反つて不思議に恋の逢瀬に似て、あわただしくほのかに苦がい。行くものはいそいそとして仮そめの勇気を整へ、とどまる者はせんなく煙草を燻ゆらせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る。
彼女を乗せた乗合馬車が、風景の遠くの方へ一直線に、彼女と彼女の小さな手携げ行李と、二つの風呂敷包みとを伴れてゆく。それの浅葱のカーテンにさらさらと木洩れ日が流れて滑り、その中を蹄鉄がかはるがはる鮎のやうに光る。ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。さやうなら、さやうなら、彼女の部屋の水色の窓は、静かに残されて開いてゐる。
河原に沿うて、並木のある畑の中の街道を、馬車はもう遠く山襞に隠れてしまつた。そして、それはもうすぐ、あのここからは見えない白い橋を、その橋板を朗らかに轟かせて、風の中を渡つて走るだらう。すべてが青く澄み渡つた正午だ。そして、私の前を白い矮鶏ちやぼの一列が石垣にそつて歩いてゐる。ああ時間がこんなにはつきりと見える! 私は侘しくて、紅い林檎を買つた。
こりゃ本当の「別れ」やろなあ・・・でもって見送るのか・・・
でね、Wikipediaを見ると、少なくとも萩原アイとの結婚生活では凄惨な暴力をふるったということだから、この「別れ」をする女性にも相当なことをしてたんじゃないか・・・
「その身の愚かさ」を知っても知っても直せなかったんじゃないかな・・・