おはようございます。
快晴。
今日は、新しく開かれる放課後等デイサービスの開所式に行ってきます。
こちらもともと重心のお子さんを対象としておられたので、新しいところもそうなんだろうか?そうだといいな、と思ってます。なかなかそういう所は少ないので。
おっ、今、ネットで検索かけたら重心の放デイで求人が出てました。もう掲載は終了してます。ってことは重心の子が通えるんだな。
春風や堤長うして家遠し(与謝蕪村)
江戸時代の人って、ほぼ全員、歩くしかなかったんですもんね。
馬に乗れる人、駕籠に乗れる人、ものすごく少なかったろうし。
で「道」なんですが、私たちの今思ってる「道」とはだいぶ違ったろうな、と思います。
川の「堤」なんてすごく歩きやすい道だったろうな。
今、我々は普通に海岸近くにまっすぐな平らな道があるのを当たり前と思っているけど、海岸の近くって、昔の人には、なかなか歩けるもんじゃなかったろうと思います。
先日、クイズ番組で「有馬温泉」(ごっつい山の中にある)が江戸時代の温泉番付で西の大関だか関脇だかになってました。へえ、江戸でも有名だったんだ、と思って見ていると、当時の人にとって「京都から姫路に行く途中にあったから(よく行っていた)」とのことでした。
なるほどな。人がよく通る街道がすごい山の中にあったということ。今の人にとっては平地の道と比べ物にならない「山道」「登山道」なんだけど。
そういえば、「徳川道」という当時の街道が六甲山の上にあったりします。
これも「歩きやすかった」からでしょうね。