徒然草 第百五十段
【現代語訳】
これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遙かに超えて、達人になっていく。人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
いまは「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることが出来るようになった。どんな世界でも、同じである。
【原文】
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
ーーーーーー
これ、ほんまやなあ、と思います。
私が、1990年頃、リハビリテーション工学カンファレンスに参加して、
「ここにある情報が全然肢体不自由養護学校(特別支援学校)に流れてきてない!」
と思い、パソコンを含めた機器利用を学ばなければ、と考えた時、パソコンっていう物に触れたことは1度しか無かったと思う。(義弟の持ってたMZ-80Bを3日間ほど触った)
すぐに、近所の小学校でMSXを利用されてた方を講師に呼び、NIFTY-Serve のFEDHAN(障害児教育フォーラム)で興味のありそうな人に声をかけてシンポジウムを開いた時、参加者の一人が「画面タッチで操作するのはRS232Cを使えば実現できるやろ」と言ったのが一体何を言ってるのかさっぱりわからなかったことはよく覚えています。
で、とにかく「実際に目の前で使える物」を目指してあれこれやって、動画を撮影し、人に見てもらい、教えてもらい、しました。とにかく、「私、何もわからない。知識もない」と思って必死にあれこれやってました。
1993年に、国立特殊教育総合研究所の短期研修に行った時、もちろん「考え方」とかは参考になる講義はたくさんありましたが、「実践」という意味では、もう自分であれこれ考えないといけないレベルに達していたと思います。「守破離」の「守」はもう終わってしまっていた、という感じ。
これは受講生からではありますが
「kingstoneさんは、本当に子どもたちに使わせてるもんなあ」
と言われたのが印象に残っています。
あと、FEDHANで、とにかく書ける範囲ではありますが、書き続け、発信し続けていたことも大きいかも。
発信するためには言葉としてまとめなければいけないから、とにかく言葉にし続けた。
で、こんなんやってました。
1994年の肢体不自由特別支援学校での取り組み
で、1996年に知的障害養護学校に異動して、目の前に展開していることに言葉を失うわけですが・・・
そこからは
カテゴリ「実践動画」
にあるようなあれこれをしていくわけですが、最初の頃は・・・
自閉症のお子さんとの授業の失敗例1997年
というようなひどい授業をやっていたわけです。
この動画はそれこそ「バカにされて笑われて」というものです。
今まで某教育大学の某講師は、見ながら大爆笑してくれました。
そこんとこすごくわかって欲しいです。
で、ほんといろんな人に聞きながら、教えてもらいながら一歩一歩進めていったのです。
私、現在勤務しているソワサポートに新スタッフさんが来られた時、新しいお子さんが来られた時、できるだけ動画を撮影するようにしています。嫌がるスタッフさんも多いですけどね。「まだうまくできないし」とおっしゃって。
でも、ほんと後々宝物になると思うな。
まあ、だからこそ、特殊教育学会でも発表したり、自主シンポをしたりしたいわけですが。
やっぱり芸事でもスポーツでも、見て評論するだけの人と、素人芸でも実際に舞台に上がる人や草レースでも実際にレースに参加する人では、全然違ってくると思うよ。