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 あくまでも、私個人の意見です。

2015年02月21日

「文部科学省が教育水準の低い大学に改善指導 講義内容はbe動詞や四捨五入」という記事について



文部科学省が教育水準の低い大学に改善指導 講義内容はbe動詞や四捨五入

という記事が2015年2月21日づけのlivedoorニュースに出てます。

 一部引用

「文科省は今月19日、講義内容や運営方法などに不備があるとして、改善を求める大学253校を公表しました。」

「千葉科学大(千葉県銚子市)は、一部の講義で“レベルの低さ”が問題視されました。たとえば「英語1」の講義。同大のシラバス(講義計画)によると、冒頭から「be動詞」「過去形」「進行形」と、中学校レベルの内容が並びます。「基礎数学」の講義でも、割合(百分率)や小数、四捨五入とは何か、から教え始めます。

 つくば国際大(茨城県土浦市)でも、「化学」の講義が元素や周期表の説明から始まったり、「生物学」では光合成やメンデルの遺伝法則を一から学ばせたり。

 こうした実態について文科省の調査は「大学教育水準とは見受けられない」と指摘しており、改善を求めています。」


 でね・・・TwitterでのTweetを読んでると、

「ちゃんと、中学や、高校で教えろ」
「入りやすくて卒業しにくくしろ」

とかいうご意見がかなり見えて、賛同を集めたりしてるみたいだけど・・・

 なんか、それ、方向が違わなくない??

 そもそも文部科学省の「改善指導」というのも、実は実態と違わなくない??

 そういう「大学」と名前がついた所でも、実はもともと「教科学習」が苦手な生徒の受け皿になっているんじゃないか。実際、放課後等デイサービスなんかでも、上記記事引用の部分を勉強したりしてる子もいるけど、なかなか身につかない。で、実は必要なのは、そんな教科学習ではなく、コミュニケーションスキルであったり、それによって身につくソーシャルスキルだったりするわけ。

 でも、親御さんとか、学校の先生から「勉強しなさい」と言われ(たいていは「宿題」「課題」という形でね)、スタッフもそれに応えようとしてしまうこともある。で、私は「それ、はなから無理」という「それを言っちゃおしまいでしょ(と多くの方から思われる)」みたいな発言をし、しかしそれで子どももスタッフも楽になったりすることもあるわけ。(でも、親御さんでは怒る人も出てくるけどね・・・)

 もちろん、余裕があるなら、高校や大学がモラトリアムの場であってもいいと思う。ならば、だからこそ本人がいろんな大事な体験ができたらいいんじゃないかな。そういう意味では出欠なんて、(大学なんだから)どうでもいい、みたいなことであってもいいだろうし。

 で、上記記事の「大学」はそういう生徒たちに「居場所」を提供するという大切なことをしてくれてるのではないか。それならそれで「大学」側も自覚して、それなりにいいカリキュラムを作ってくれたり、進路指導をしてくれたらいいんじゃないの?

突然プレゼン。でも脚下・・・^^;

というエントリも、そのあたりのことなんだよね。

2月21日(土曜日) 雪後始知松柏操(せつごにはじめてしるしょうはくのみさお)


 おはようございます。

 空が明るくなりかけてて、どうやら快晴っぽい。


雪後始知松柏操
事難方見丈夫心

せつごにはじめてしるしょうはくのみさお
ことかたくしてまさにみるじょうぶのこころ

 本に載ってた解説。
「柏や松が緑のまま姿を変えなかったことは、冬が過ぎて雪が溶けてみてはじめてわかる。難事にあったとき、はじめてその人の強さが見えてくる。ここで言う柏は、柏槙(びゃくしん)といい、ヒノキの一種のこと。従って「松柏」は常緑樹を意味する」

 こちらにビャクシンの写真がありますね。
建長寺のビャクシン

 解説では「難事にあった時、初めてその人の強さが見えてくる」となっているけれど、難事の真っ最中は「見えない」って話じゃないか?で、周囲からは「なんであの人はそんなところにこだわるのか。なんであんなこと言うのか」とか変、あるいは不思議に思われる。すべてが終わってからやっとわかる、ということじゃないかなあ・・・少なくとも前半はそうだよな。後半はそうでもないのかな?





石井ゆかり 文   井上博道 写真
 
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2015年02月20日のつぶやき














































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2015年02月20日

今この子をほめるために私に何ができるか、を考える

 ある人から聞いた言葉。(決して私のオリジナルではありません)

   追記 これを言ったのは、 @hit1678 さんです。


「今この子をほめるために私に何ができるか、を考える」


 これはいい。


 で、確かに、そう言われてみれば、私も、そう考えてやってること多いわ。



 なんかね。「褒めて育てる」とか「いや叱らなきゃ」とかいう論争というか、何というか、なんか変、と思ってたんだよね。「ふへっ?育てるために褒めるのかよ。単にその子がすげえからこちらが褒めたくなる、ってことでいいじゃん。で、それはこちらにとって都合のいいことと限ったわけではないよな」とかね。


 なんか「褒めて育てる」にしても、「いや叱らなきゃ」にしても、「今この子」そのままではいけないような感じがするんだよね。でも「今この子をほめるために、私に何ができるかを考える」だと、その子はその子のままで、で、その子のすげえなあという点を見つけて褒める、見つけられるように環境を整えたりする、って感じがするなあ。


 で、もっといや、その子がやった行動そのものが、その子を褒めてくれるのがいちばんいい。

 あるいは「物」がほめてくれるとか。


 浅原さんがよく言ってるのは(ひょっとしたら、モンテッソーリの言った言葉なのかもしれない)

「物が教えてくれる」


 で、物や行動が褒めてくれる例として、比較的簡単なのが「自立課題学習を完成させた喜び」とか。人が介在しないやつね。(実は人が環境を整えてるんだけど)

2月20日(金曜日) 隻手音声(せきしゅおんじょう)


 おはようございます。

 曇りです。
 でも隙間があるくらいなので、お日さまの光は届いてた。
 今、また少し暗いかな?


隻手音声
せきしゅおんじょう

 本に載っていた解説。

「両手を打ち合わせれば音がするが、片手の音はどうか」
という問い。白隠和尚のとても有名な公案。


 これは弟子の脳味噌を振り回すのが目的やろなあ。

 ボブ・ディランにも隻手音声についての歌詞があるってことを、誰かのコンサートの時に聞いた。
 そういや聴覚障害の方の集会では、拍手は両手を打ち合わせるのじゃなく、両手をひらひらさせるというのを聞いたことがある。




石井ゆかり 文   井上博道 写真
 
posted by kingstone at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする