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2015年01月02日

1月2日(金曜日) 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき(皇嘉門院別当)

 おはようございます。

 なんかいい天気になってきたな。


難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき

「かりね」が「仮寝」を掛けていることはわかるけど、もうひとつは「刈根」だろうか、「仮根」?後者はないよなあ・・・理に落ち過ぎる感じがする。

「身を尽くし」は「澪標」と掛けてるのはわかるな。

「恋ひわたる」はどうだろう?「川を渡る」みたいな意味があるだろうけど「恋ひ」だからなあ・・・

解釈
「大阪湾の蘆の根を刈るように、一夜かぎりの仮寝(逢瀬)だからこそ、この身を尽くして、(澪標をたよりに川を渡るように)この恋をわたっていくべきだ」


皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう:生没年不詳)
   平安時代末期の女流歌人。父は源俊隆。
   大蔵卿源師隆の孫にあたる。
   崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子(摂政藤原忠通の娘)に
   仕えた。皇嘉門院聖子が忠通の子で兼実の姉であることから、
   1175年の『右大臣兼実家歌合』や1178年の『右大臣家百首』
   など、兼実に関係する歌の場に歌を残している。
   1182年皇嘉門院聖子が没したときにはすでに出家していた。


もずらいとさんからのコメント

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき

>解釈
>「大阪湾の蘆の根を刈るように、一夜かぎりの仮寝(逢瀬)だからこそ、この身を尽くして、(澪標をたよりに川を渡るように)この恋をわたっていくべきだ」

 細かい部分に間違いがあります。

難波江の蘆のかりねの → まぁ「大阪湾」でもかまいませんが「難波の入り江の」とした方が風情があります。で「かりね」は「刈り取った後の根」で「仮寝」と掛詞にしています。「根を刈るように」という意味ではありません。

ひとよゆゑ → ご解釈のとおり「一夜」の意味が掛詞ですがもう一方は「一節」です。刈り取った後だからこの語が生きるのです。

身を尽くしてや恋ひわたるべき → 「澪標」と「身を尽くし」は掛詞です。で,「べき」は「確信(根拠のある)推量」の助動詞「べし」の連体形です。現代語の「べき」はそこから派生した「意思」の意味(平安末にはこの意味で使っています)のみが残った状態です。

ですので「難波江の蘆の刈り根の節のように短い一夜の契りでも,私はこのまま澪標がずっと航路を示し続けるようにあなたのことを身を尽くして恋し続けるのでしょうか,多分そうなのでしょうね」という意味になります。

 「難波江」は「蘆」「かりね」「ひとよ「澪標」の縁語です。また,゜難波江の蘆]は続く「かりね」を導く序詞です。古今調爆裂の技巧歌です。



もずらいとさん、どうもです。

>難波の入り江の

ああ、この「入り江」という言葉が浮かんでこなかった・・・
大阪湾と言うと、沖の方の感じがしてしまい、蘆は生えてないよなあ、
と自分でも思ってました。

>もう一方は「一節」です。
>刈り取った後だからこの語が生きるのです

なあるほど。

>「べき」は「確信(根拠のある)推量」の助動詞「べし」の連体形
>現代語の「べき」はそこから派生した「意思」の意味

へえ。
だから少し弱いというか

>多分そうなのでしょうね

となるわけですね。
posted by kingstone at 09:44| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日のつぶやき








































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