※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2015年01月01日

1月1日(木曜日) 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮(寂蓮法師)

 あけまして、おめでとうございます。

 冬空ですが、一応晴れです。
 でも東の空には雲が厚くあるので、日の出は見えませんでした。

 
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮

学研全訳古語辞典
むら−さめ 【村雨・叢雨】名詞
   断続的に激しく降って過ぎる雨。にわか雨。驟雨(しゆうう)。

   (「村雨」って、村に降る雨だと思ってたけど、念のために、
    と思って調べてびっくり。もともと「叢雨」だったものに
    当て字をしたのかな。
    「村雨」と言うと、落語「七度狐」に出てくる「むらさめ」
    「のきさめ」「じきさめ」を思い出す・・・)

解釈
「激しいにわか雨が上がったけれど、まきの葉にはまだ露がついている。そして霧がわいてきた秋の夕暮れだよ」

 ひょっとしたら、一難さったと思っても、また困難なことが起きてくるよなあ、世の中は、という意味かな?


寂蓮(じゃくれん、1139年? - 1202年)
   平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。
   俗名は藤原定長。
   僧俊海の子として生まれ、1150年(久安6年)頃叔父である
   藤原俊成の養子となり、長じて従五位上・中務少輔に至る。
   30歳代で出家、歌道に精進した。

   (「僧俊海の子」まあ、この頃のお坊さんって、妻、あるいは
    妻みたいな人があったんだろうな)


もずらいとさんのコメント

村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮

 明けましておめでとうございます。あと十数首ですね。

>解釈
>「激しいにわか雨が上がったけれど、まきの葉にはまだ露がついている。そして霧がわいてきた秋の夕暮れだよ」

 このとおりですね。もう少し詳しく付け加えると

村雨の → お調べのとおりですが「村雨」というのは秋から冬にかけてと季節限定です。

露もまだ干ぬ → 「露」でも良いのですが,雨ですから「しずく」の方がなお良いかと。

まきの葉に → 「まき」というのは杉や檜の総称です。

霧立ちのぼる秋の夕暮 → この歌も体言止めで余情を表しています。

 一般的には上の句で近景を,下の句で遠景(霧が立ち上っているのは遠くの山なわけけなので)をと水墨画のように濃淡を織り込んで情景をイメージさせることが評価される歌です。

 今年もよろしくお願いします。



もずらいとさん、どうもです。

こちらこそ、今年もよろしくお願いします。

>上の句で近景を,下の句で遠景(霧が立ち上っているのは
>遠くの山なわけけなので)をと水墨画のように濃淡を
>織り込んで情景をイメージさせる

言われてみればその通り、というやつですね。
確かに、すごく美しい。
映像が浮かんできます。

>あと十数首ですね

そうですね。
なごり惜しいという気もするし、
毎日1つずつでもやってると、
意外に進んで行くんだ、
という気もしたり、いろいろ思います。

posted by kingstone at 08:24| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日のつぶやき














































































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする