冬空ですが、一応晴れです。
でも東の空には雲が厚くあるので、日の出は見えませんでした。
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
学研全訳古語辞典
むら−さめ 【村雨・叢雨】名詞
断続的に激しく降って過ぎる雨。にわか雨。驟雨(しゆうう)。
(「村雨」って、村に降る雨だと思ってたけど、念のために、
と思って調べてびっくり。もともと「叢雨」だったものに
当て字をしたのかな。
「村雨」と言うと、落語「七度狐」に出てくる「むらさめ」
「のきさめ」「じきさめ」を思い出す・・・)
解釈
「激しいにわか雨が上がったけれど、まきの葉にはまだ露がついている。そして霧がわいてきた秋の夕暮れだよ」
ひょっとしたら、一難さったと思っても、また困難なことが起きてくるよなあ、世の中は、という意味かな?
寂蓮(じゃくれん、1139年? - 1202年)
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。
俗名は藤原定長。
僧俊海の子として生まれ、1150年(久安6年)頃叔父である
藤原俊成の養子となり、長じて従五位上・中務少輔に至る。
30歳代で出家、歌道に精進した。
(「僧俊海の子」まあ、この頃のお坊さんって、妻、あるいは
妻みたいな人があったんだろうな)
もずらいとさんのコメント
村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
明けましておめでとうございます。あと十数首ですね。
>解釈
>「激しいにわか雨が上がったけれど、まきの葉にはまだ露がついている。そして霧がわいてきた秋の夕暮れだよ」
このとおりですね。もう少し詳しく付け加えると
村雨の → お調べのとおりですが「村雨」というのは秋から冬にかけてと季節限定です。
露もまだ干ぬ → 「露」でも良いのですが,雨ですから「しずく」の方がなお良いかと。
まきの葉に → 「まき」というのは杉や檜の総称です。
霧立ちのぼる秋の夕暮 → この歌も体言止めで余情を表しています。
一般的には上の句で近景を,下の句で遠景(霧が立ち上っているのは遠くの山なわけけなので)をと水墨画のように濃淡を織り込んで情景をイメージさせることが評価される歌です。
今年もよろしくお願いします。
もずらいとさん、どうもです。
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
>上の句で近景を,下の句で遠景(霧が立ち上っているのは
>遠くの山なわけけなので)をと水墨画のように濃淡を
>織り込んで情景をイメージさせる
言われてみればその通り、というやつですね。
確かに、すごく美しい。
映像が浮かんできます。
>あと十数首ですね
そうですね。
なごり惜しいという気もするし、
毎日1つずつでもやってると、
意外に進んで行くんだ、
という気もしたり、いろいろ思います。