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2014年12月17日

12月17日(水曜日) 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ(祐子内親王家紀伊)

 おはようございます。

 爆弾低気圧によるすごい西高東低の気圧配置になるようで、北日本では不用不急の外出はしないように、とまで言われてますね。私の地方でも寒いっす・・・


音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ

「音に聞く」ってのは「有名な」ってことだろうな。

コトバンク
たかし‐の‐はま【高師の浜】
   大阪府高石市の大阪湾に面する海岸。
   かつて白砂青松の景勝地として知られた。
   高師の浦。[歌枕]

   (へえ。大阪なんや。和歌山とか、日本海側とかかと思ってたけど、
    まあ当時は有名なきれいな浜だったんだろうな。
    今の「須磨」「明石」だって、昔のおもかげは無いだろうし)

goo辞書
あだ‐なみ【▽徒波/▽徒▽浪】
   たいした風もないのに立つ波。
   変わりやすい人の心、軽々しい行為などをたとえていう語。
   「音にだに立てじと思ひし―のあだなる名をも流しつるかな」

「かけじや袖の」の「かけじ」は「かけず」で調べていいんだろうか?

学研全訳古語辞典
かけ−ず[副詞]
   わけもなく。簡単に。
   出典徒然草 一
   「かけずけおさるるこそ、本意(ほい)なきわざなれ」
    [訳] (学識がないということになってしまうと)
      わけもなく圧倒されるのは、残念なことである。

解釈
「有名な高師の浜の風もないのに立つ波は、簡単に袖が濡れるくらい立つんだよ」


祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)
   平安時代院政期の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
   女房三十六歌仙の一人。
   1113年(永久元年)「少納言定通歌合」への出詠まで確認されている。

   (12世紀まで生きた人。院政期ってのは、平安時代の後期、
    鎌倉時代の前にあたるのか)


もずらいとさんのコメント

音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ

>解釈
「有名な高師の浜の風もないのに立つ波は、簡単に袖が濡れるくらい立つんだよ」

 う〜ん。「袖」の話は前にもしたのですが。

音に聞く → 解釈のとおり「有名な」です。

高師の浜のあだ波は → 「高師の浜の」はいいのですが「あだ」は「あだやおろそか」と同じ「適当・アバウト・いたずらに(特に信念もなく)」ということで「あだ波」で「いたずらに立つ波=浮気な人」の比喩です。

かけじや → 「かけませんよ」ということですが,「波をかけまい」と「浮気男に心をかけまい」の意味があります。

袖のぬれもこそすれ → この時代「袖が濡れる」のは「涙」の比喩です。なので「涙で袖が濡れては困りますから」という意味となります。

 つまり「有名な高師の浜のあだ波のように,あなたの軽薄な恋心はかけませんよ。袖が涙で濡れるなんてまっぴらごめんですから」という意味です。

 この歌は堀河院の宮中歌合戦で,藤原俊忠の歌(お題)「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそいまはほしけれ」の返歌として詠まれたものとされています。ちなみに当時の祐子内親王家紀伊は70歳くらいだったとか。



もずらいとさん、どうもです。

>「あだ波」で「いたずらに立つ波=浮気な人」

これは恋の歌だったのですね・・・
しかも

>「波をかけまい」と「浮気男に心をかけまい」

要するに振ってるわけや。
で、なかなか色っぽいと思ってたら、

>当時の祐子内親王家紀伊は70歳くらい

わお・・・


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2014年12月16日のつぶやき
































































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