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 あくまでも、私個人の意見です。

2014年12月05日

12月5日(金曜日) 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 (小式部内侍 )

 おはようございます。

 昨夜、帰宅時、熱を測ったら、38.2℃。
 ふるえながら布団に入ったものの、なかなか寝つけませんでした。
 今朝はついに百人一首を飛ばすことになるか、と思っていましたが、目がさめるといくぶん元気になってました。

 
大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

 ええ〜〜っと、記憶の底をかき回すと、小式部内侍のお母さんは紫式部で、小式部内侍の歌はうまいと認められていたけど、ある人が大江山というか丹後(丹波?)の方に赴任について行ってるお母さんに添削してもらってるんでしょう、と言ったのに対して返した歌、だったんじゃ・・・

Wikipediaによると
大江山
   大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し
   与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。
   標高832m[1][2]。別称、大枝山・与謝大山・千丈ヶ嶽。
   酒呑童子伝説で知られる。
   また、雲海の名所としても知られている。
   2007年(平成19年)8月3日には丹後天橋立大江山国定公園
   として国定公園にも指定されている。新・花の百名山に選定
   されている。

 酒呑童子が出てくるくらい秘境とされてたわけだよね。

「いく野の道」は?
「行く」「野原の道」かな?
「生野」だと方向違いだからなあ・・・

小式部内侍(こしきぶ の ないし、999年頃 - 1025年)
   平安時代の女流歌人。掌侍。
   女房三十六歌仙の一人。父は橘道貞、母は和泉式部。
   母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
   そのため、母式部と区別するために「小式部」という
   女房名で呼ばれるようになった。

 違った、違った。小式部内侍のお母さんは和泉式部なんだ。

解釈
「大江山は遠くて行くのもたいへんだし、生野も遠いし、まだ(母の)手紙も読んだことないです。私も、その近所の名勝の天の橋立にも立ったことはありませんし。(母と相談なんてできませんのよ。歌は全部私が作ってます)」
みたいなことか。


もずらいとさんのコメント

大江山 → そのままです。
いく野の道の → ご推察どおり「生野の道」と「行く野の道」の掛詞です。
遠ければ → 「遠いので」
まだふみも見ず → 「文」と「踏み」の掛詞です。
天の橋立 → そのままです。

 小式部内侍は子どもの頃から和歌に秀でていたのですが,それだけに母の和泉式部が代作ないしかなりの添削をしているのではないかという噂がつきまとっていました。この歌はとある歌会で藤原定頼が「丹後(当時和泉式部は夫の任地である丹後に行っていた)に遣われた方は(文を持って)まだ戻ってきませんか」と茶化したところ,立ち去ろうとする定頼の袖をつかんで引き留め,この歌を詠んだと言われています。

 内容は「大江山,生野の道は遠いので,まだ天橋立を見に踏み込んだことはありません」と「大江山を通って行く野の道は遠いので,まだ天橋立(母)からの文など見たことがありません」と母のいる地までの道中の地名を織り交ぜて当意即妙に返した歌です。
 定頼はあまりの秀歌が瞬時に返ってきたので,この人も歌の名人なのですが,返歌もできず,その場から逃げたそうです。



もずらいとさん、どうもです。

>返歌もできず,その場から逃げたそうです。

あたふたとしている様子が目に見えるようです。
毎日、毎日、歌を作っていれば、こういう当意即妙ができるようになるのかもしれませんが、技巧もちりばめつつ、「伝えたい意味」をしっかりと伝える、ってすごいっすよね。


posted by kingstone at 03:38| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月04日のつぶやき




















































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