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 あくまでも、私個人の意見です。

2014年12月28日

発達障害と非行に関する研修報告(簡単に)

 Togetterで

発達障害と非行に関する研修報告(簡単に)

をまとめました。

12月28日(日曜日) 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(皇太后宮大夫俊成)

 おはようございます。

 まだ外は真っ暗です。

 今日は、「発達障害と少年非行 〜その予防と理解のために〜」の研修。
 うちの職場からは4人が参加します。
 ってふうに、内部の研修をし、また外部の研修に行く。そうやってるのに「この研修を受けなさい」「この研修を受けなければ資格を上げないよ」「更新しないよ」みたいなことをやられると、時間の無駄(しかもその時間には給料が発生するよね。当然)になることが多いのよね。
 なんか「児童デイ」のガイドライン案では、県がそういう研修をしてやろう、みたいになってるみたいですが・・・


世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

学研全訳古語辞典
おもひ−い・る 【思ひ入る】
   [一]自動詞ラ行四段活用{ら/り/る/る/れ/れ}
     深く思い込む。思いつめる。
   [二]他動詞ラ行下二段活用{れ/れ/る/るる/るれ/れよ}
     深く心にとどめる。

解釈
「世の中には道なんてないじゃないか!と思いつめる。しかし山の奥でも鹿は鳴いている。(道はあるじゃないか)」


藤原 俊成(ふじわら の としなり、1114年ー1204年)
   平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
   名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。
   藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。
   はじめ葉室家に養子に入り藤原(葉室) 顕広(あきひろ)を
   名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り改名した。
   法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。
   『千載和歌集』の編者として知られる。

   (おお、13世紀まで生きた人だ)


もずらいとさんのコメント

世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

>解釈
>「世の中には道なんてないじゃないか!と思いつめる。しかし山の奥でも鹿は鳴いている。(道はあるじゃないか)」

 この歌も背景がわからないと解釈しづらいですね。

世の中よ → 「恋人よ」の「よ」と同じ感動を示す間投助詞です。ではどんな「世の中」か?これは「憂い嘆くこの世」なのです。

道こそなけれ → 強意の係助詞「こそ」に「けり」の已然形で掛詞になっています。ではどんな「道」か?「憂いを逃れる道」です。

思ひ入る → 「深く思い入る」と「思って山に入る」の二つの意味がかけられています。

山の奥にも → 「も」は「ここも」と同じで並列の意味です。「山の奥も,都と同じように」という感じです。

鹿ぞ鳴くなる → 係助詞「ぞ」に推量の助動詞「なり」の連体形です。

ということで「この嘆き憂う世の中を逃れる道はないのだなぁ,あると思って分け入った山でもやはり鹿の嘆き憂うもの悲しい声が聞こえることだよ」となります。

 これは「述懐の歌」として読まれたうちの一つで,幼くして後ろ盾となる父を失ったことによる成就感の不足,また武家の台頭で「昔懐かしき貴族の雅」が消えつつある悲しさを詠ったものとされています。
 藤原俊成は91歳まで生きましたが,昔だって全員短命だったわけではなく,幼少時の死亡率が今と比較にならないことが平均年齢を大きく下げています。七五三というのはある意味「サバイバーのお祝い」だったわけです。10歳までに半分近くなくなったそうです。また,流行り病があると下水が整っておらず(平安京はなまじ道路が広かったので端は大便捨て場だったようです),火葬の習慣もなかったので今より大流行する条件が整っていました。また,女性は現在の発展途上国同様,出産に伴って1割くらい亡くなりました。食習慣もタンパクは魚か大豆ですから今の基準でいう頑強な体に育つのは無理でした。逆にそのような状況で還暦まで生きた人は流行り病以外では簡単に亡くならなかったようです。
 また,読みは「しゅんぜい」が確かです。「としなり」と読んだかどうかは文献では判断できませんので。当時は「名前を知られることは相手に操られる」という考え方があったので,素直な読み方ではない人が結構いたとのことです。



もずらいとさん、どうもです。

>ではどんな「道」か?「憂いを逃れる道」です。

そうかあ。
都会に、憂いを逃れる道はないと嘆いて、それでもって奥山に入ってみたら

>分け入った山でもやはり鹿の嘆き憂うもの悲しい声が聞こえる

鹿の泣き声を「嘆き憂うもの悲しい」と聞くのか・・・
私の考えていたのと全然違うなあ。
(でもって、私が結構ポジティブシンキングだってことがわかりますね・・・)

>流行り病があると下水が整っておらず
>(平安京はなまじ道路が広かったので端は大便捨て場だったようです),
>火葬の習慣もなかったので今より大流行する条件が整っていました

いったん流行したらえらいことやったでしょうね。
その死体を弔っていた僧(遁世僧)にすごく興味があります。


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2014年12月27日のつぶやき


































































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2014年12月27日

12月27日(土曜日) 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり(道因法師)

 おはようございます。

 おだやかないい天気です。
 今日の土曜デイ活動は注連縄作り。
 私も、もう全体をしきったりはしませんが、注連縄作りには参加しようと思ってます。


思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり

「わび」→「わぶ」は

恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

の時に調べた。「さても」は「そうは言っても」だろうし・・・

解釈
「思い嘆いているとは言ってもまだ生きてはいる。しかしあの人を思って憂う気持ちが強くて涙が出てきてしまう」

 でも、道因法師ってお坊さんの作った歌だから、フィクションなんだろうな。


藤原 敦頼(ふじわら の あつより、1090年ー 1182年頃?)
   平安時代後期の歌人。法名は道因。
   藤原北家高藤流、正三位・藤原惟憲の曾孫。
   治部丞・藤原清孝の子。官位は従五位上・右馬助。

   (1172年に出家とあるから、92歳まで生きた人が、
    82歳で出家したのか・・・で、80過ぎてこの歌を
    歌ったのかな?それとも若い時に歌って、採録された
    時に「道因法師」という名前だったということかな?)


もずらいとさんのコメント

思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり

>解釈
>「思い嘆いているとは言ってもまだ生きてはいる。しかしあの人を思って憂う気持ちが強くて涙が出てきてしまう」

 そのとおりでございます。

> でも、道因法師ってお坊さんの作った歌だから、フィクションなんだろうな。

 いや、この人出家したのが80歳過ぎなので、出家前の歌でしょう。また、歌のリアルは別ということもありますし。歌会のお題に応えただけかもしれませんし。なにしろ90歳過ぎても歌会に出ていたそうですから。80歳過ぎても「秀歌が詠めるように」と神社に願掛けしていたそうです。
 没後の話ですが、藤原俊成(定家の父)が選者をつとめた「千載集」には道因法師の歌が18首採用されたのですが、夢に道因法師が現れ涙ながらに感謝をされたので、さらに2首加えて20首にしたというエピソードが残っています。



もずらいとさん、どうもです。

>出家前の歌でしょう
>また、歌のリアルは別ということもありますし

あと、「お坊さんでも恋をする」ってのも・・・
一休さんと森女みたいに。

まあ、「リアルは別」の方かな・・・歌会用の。
posted by kingstone at 09:03| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする