快晴。
由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
もう文法調べるの、今日はやめ。
で、何も調べず解釈。
「(急流で名高い)鳴門海峡を渡る船人が舵を取るのをやめてしまえば、船がコントロールを失って、どこに行くかわからなくなる。それと同じようにどこに行くかわからない恋だよ」
曾禰好忠(そね の よしただ、生没年不詳)
平安時代中期の歌人。出自については未詳。中古三十六歌仙の一人。
官位は六位・丹後掾(じょう)。長く丹後掾を務めたことから曾丹後
(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。
掾(じょう)ってのは国司の位ですね。
Wikipediaを見ると、四等官として
「守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等」となってます。
ということは下から二番目の位が多かった、ということなのかな?
もずらいとさんのコメント
由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
>「(急流で名高い)鳴門海峡を渡る船人が舵を取るのをやめてしまえば、船がコントロールを失って、どこに行くかわからなくなる。それと同じようにどこに行くかわからない恋だよ」
惜しい。
由良の門を → 「由良(丹後というのが定説)の海峡を」
渡る舟人 → そのままです。
かぢを絶え → ここが違います。「かぢを」は「梶(舵)を」ですが,「絶え」は自動詞「絶えす」の語幹,あるいは「絶ゆ」の未然形でもかまわないのですが,意味は「失って」であって「やめて」ではありません。
先日の「あはれ」も
>で、「あはれ」って、今では「気の毒」とか「かわいそう」とかいう意味に使うけど、古典では違う意味なんだよ、とずっと言われてるってのが頭にあったのに、
と書かれてましたがそうじゃありません。良いことでも悪いことでも心を揺さぶられることを「あはれ」と言ったのです。それが後年になって良い方は「めでたし」とか「あはれ」の派生である「あっぱれ」とか他の表現がメインになったので悪い方限定になったのです。言葉を辞書的に解釈すると間違います。「絶え」も何かが途絶することを指す語であって「死ぬ」「やめる」限定ではありません。
ゆくへも知らぬ恋のみちかな → 上の句はこの序詞になっています。舵がなくなりゃどこに船が行くか分からないわけですから。解釈はkingstoneさんのとおりです。
ですので「由良の海峡を漕ぎ渡る船人が舵を失い漂うように,どうなるか予想もつかない私の恋路であるよ」という意味です。
作者の曾禰好忠はあだ名の「そたん」を「そのうち『そた』にならないか」とおそれたという話と,頑固でKYでうぬぼれ屋でひがみっぽかったという人だったようで,どんな解説書にも呼ばれもせぬ歌会に粗末な服を着て現れて周囲がとがめると「歌詠みの会でそこらの人にひけなど取らぬ(自分が呼ばれないのはおかしいし,参加させないと格が落ちるよ)」と豪語してみんなに会場から放り出されたという逸話が必ず載っています。
もずらいとさん、どうもです。
>由良(丹後というのが定説)の海峡を
えっ・・・
てっきり淡路島の由良かと思いました。
そう言えば、鳴門海峡の方は由良じゃなくて福良だった・・・
由良は大阪府と和歌山県の県境の西に突き出た城ヶ崎と淡路島の海峡だった。
>言葉を辞書的に解釈すると間違います
何度ももずらいとさんから言われてますが、
これがなかなかむつかしいっすね・・・(ためいき)
>呼ばれもせぬ歌会に粗末な服を着て現れて
ドレスコードを破ってたわけですね。
しかしすごい自信だなあ・・・
>参加させないと格が落ちるよ
ってのは。