星が見えてるから晴れだと思う。(真っ暗だけど)
昨夜は「しし座流星群」と「おうし座流星群」が見えるかも、という話だったけど、曇りだったもんな。
逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
これはもう何も調べなくても解釈できそう。
「あなたに会って(たぶん一夜(?)を過ごして)からの私の心と比べてみれば、昔(あなたに会う前)は、人を恋うということを(そのために悩みや不安が出てくることも含めて)知らなかったなあ」
藤原 敦忠(ふじわら の あつただ。906年 - 943年)
平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、左大臣・藤原時平の三男。
官位は従三位・権中納言。三十六歌仙の一人。
通称は枇杷中納言・本院中納言。小倉百人一首では権中納言敦忠。
美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。
亡くなったのは37歳か・・・若いですね。
もずらいとさんのコメント
>「あなたに会って(たぶん一夜(?)を過ごして)からの私の心と比べてみれば、昔(あなたに会う前)は、人を恋うということを(そのために悩みや不安が出てくることも含めて)知らなかったなあ」
ほぼそのとおりです。
逢ひ見ての → 当時は顔など見ることもなく歌のやりとりですから「会い見て」ということは,デートに成功したということで,当然「契った」ということです。
のちの心にくらぶれば → 御解釈のとおりです。
昔はものを → 御解釈のとおり「昔(あなたに会う前)」は「悩みや不安」を
思はざりけり → 「知らなかったなあ」では弱く「悩みなんかなかったも同然だ」くらいですね。「思ふ(思索全般で,悩むとか心情的なもの)」を「ざる」と否定していますから。
これは,一夜明けて男が家に戻ってから贈った歌(平安貴族の恋愛ではそういう風習がありました)とされています。「あなたと会う前の私の人生なんて何もなかったも同然です」と相手をあげあげにして「それだけあなたにぞっこんです」と訴えているわけです。
>亡くなったのは37歳か・・・若いですね。
今の感覚だと若死にですが,当時だと「もうちょっと生きても良かったかな」くらいでしょう。権中納言に三十代でなっているのは大抜擢ではなく,そのくらいの歳でその地位に昇進できるくらいの平均年齢だったということです。
もずらいとさん、どうもです。
>悩みなんかなかったも同然だ
私の場合(つまり他の人もそうかどうかは知らない)、
人に恋をすると、自分が卑小に思え、それこそめちゃ悩みましたねえ・・・
>もうちょっと生きても良かったかな
そうか・・・まともな医療も無かっただろうし・・・