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 あくまでも、私個人の意見です。

2014年11月09日

11月9日(日曜日) 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに(藤原興風)

 おはようございます。

 曇りです。

 昨日の「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」の作者を間違って「紀貫之」にしてました。本当は従兄弟の「紀友則」ですね・・・^^;
 後で直しておきます。


誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに

 この歌は、ちょっと本質以外のところでいろいろ調べたくなってきます。

 私は、現在、播磨町にある相談支援事業所で働いているわけですが、お客様の住んでいる範囲は、位置関係を示すと、だいたい西から以下のようになります。北は上、南は下に書いてます。

加古川市 → 稲美町  
高砂市  → 播磨町 → 明石市 → 神戸市
〜〜〜〜〜〜〜瀬戸内海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 つまり高砂市は「となり町」の感覚なのですね。
 ちなみに、加古川市・高砂市の西隣には姫路市があり、国宝姫路城があります。
 今、大河ドラマでやってる黒田官兵衛が生まれたあたりです。

 高砂と言えば能の「高砂」
 Wikipedeiaから歌詞を引用すると

高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出潮(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり

 しかし・・・私の感覚とすると、高砂を出て、西宮の鳴尾浜(阪神タイガースの寮や練習場がある)を過ぎて、大阪の住之江に着く、ってものすごい距離なんだけど・・・

 Wikipdediaでは、この能の成立年代は不祥とのこと。
 しかし、伊勢物語にも出てくるということで、この和歌が作られた頃には、和歌を残すような人たちの間ではよく知られた話だったのでしょうね。

 解釈は・・・正直、わかりませんでした。
 いつもなら、「想像」してあれこれ書いてますけど、この歌は「想像」がわかず、「わからない」という感覚しか出てこない。
 「誰をかも知る人にせむ」も「友ならなくに」もどういう意味か想像がつかない・・・
 で、「百人一首講座」でカンニングしました。
 ちょっと「えーーっ」と思う意味が書いてありました。

 もずらいとさんからの、解説を待とう・・・

藤原興風(ふじわら の おきかぜ、生没年不詳)
   平安時代の官人・歌人。藤原京家の出身、参議・藤原浜成の曾孫。
   相模掾・藤原道成の子。官位は正六位上・治部少丞。
   三十六歌仙の一人。


もずらいとさんからのコメント

>解釈は・・・正直、わかりませんでした。

 そうですか。百人一首の歌を恋の歌か自然の美しさを歌ったものと思って解釈しようとしているのではないでしょうか。そんなに難しい内容ではないのですが。

誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに

誰をかも → 「誰を」+疑問の助詞「か(今でも「どなたですか」など普通に使います)」+強意・詠嘆の係助詞「も(あれもこれも)というように今でも残っています」で,「だれを〜しようか」という意味になります。

「知る人にせむ」 → 「知る人(知人友人)」+使役の助動詞「す」の未然形「せ」+推量・意思の助動詞「む」の終止形で「知人にしよう」

高砂の松も → そのままです。

昔の友 → そのままです。

ならなくに → 断定の助動詞「なり」の未然形「なら」+打ち消しの助動詞「ず」の未然形「な」(古い用法ですが,古語辞典の活用表には載っています)+接尾語「く」(これが語尾につくと体言化します)+逆接で詠嘆(悲嘆)の助詞「に(「あんなに言ったのに」などで今も残ってますね)」

ということで

 誰を知人にすればいいのだろうか,高砂の松(は確かに自分以上に古くからあるけど)も昔の友というわけにはいかないしなぁ

長生きしすぎて,知人友人が誰もいなくなってしまった(先立たれた)老人の悲嘆を詠んだ歌です。



もずらいとさん、どうもです。

>百人一首の歌を恋の歌か自然の美しさを歌ったものと思って
>解釈しようとしているのではないでしょうか

 この歌も、「恋」の歌かなあ、とも思ってました。
 
>誰をかも → 「誰を」+疑問の助詞「か(今でも「どなたですか」
         など普通に使います)」
        +強意・詠嘆の係助詞「も(あれもこれも)という
         ように今でも残っています」で,
        「だれを〜しようか」という意味になります。

>ならなくに → 断定の助動詞「なり」の未然形「なら」
        +打ち消しの助動詞「ず」の未然形「な」
         (古い用法ですが,古語辞典の活用表には載っています)
        +接尾語「く」(これが語尾につくと体言化します)
        +逆接で詠嘆(悲嘆)の助詞「に
         (「あんなに言ったのに」などで今も残ってますね)」

 私は「文法なんて何の役に立つ」という気分を多く持ってますが、こういう時はそこから考えていかないと「読んだだけ」ではわからないもんですね・・・

 生没年不祥が残念。いくつまで生きられたのだろう・・・
 Wikipediaにも「古今和歌集」の選者の一人だったけど、完成を見ずに亡くなったようなことが書いてありました。
posted by kingstone at 07:27| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日のつぶやき












































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