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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年11月22日

自立課題学習についての研修

 Togetterで

自立課題学習についての研修

をまとめました。

11月22日(土曜日) 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり (恵慶法師)

 おはようございます。

 家の南側の窓から見たら雲がびっしり、北側の窓から見たら雲はほとんどなし。
 ってことは晴れでいいか・・・


八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり

こちらのブログに写真がありますね。
「八重むぐら」春のよき日に

もういかにも「庭に生える雑草」という趣で、どちらかというと「荒涼とした」という雰囲気を伝えたいんだろうな。

や−ど 【宿・屋戸】名詞
   @家。家屋。
   A戸。戸口。入り口。
   B庭。庭先。前庭。
   C旅先の宿。▽一時的に泊まる家のことをさす。
   D主人。あるじ。

 この場合、「旅先の宿」という意味ではなく、「自分の家」のことかな。

解釈
「八重むぐらが茂ってわが家は荒涼としている。人の姿も見えない(寂しい様子)ほどで、(冬に向かう)寒くて夏より寂しくなる秋が来てしまった」


恵慶(えぎょう、生没年不明)
   平安時代中期の日本の僧、歌人。
   恵慶法師とも。中古三十六歌仙の一。
   986年花山院の熊野行幸に供奉した記録がある。

   なお、Wikipediaには恵慶は播磨国国分寺に講師として行ったことが書いてあります。その国分寺はどこだろうと調べてみるとWikipediaにもありました。

播磨国分寺跡  兵庫県姫路市御国野町国分寺

 なるほど。住所がまんま「国分寺」なんだ。
 場所としては「JR神戸線 御着駅から、北西へ徒歩約7分。」と書いてあるな。
 一度、行ってみよう。


もずらいとさんのコメント

八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり

>「八重むぐらが茂ってわが家は荒涼としている。人の姿も見えない(寂しい様子)ほどで、(冬に向かう)寒くて夏より寂しくなる秋が来てしまった」

>この場合、「旅先の宿」という意味ではなく、「自分の家」のことかな。

 この歌は元々拾遺集に収められたもので「河原院にて荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りける」と詞書きがあります。河原院というのは「陸奥の」の河原左大臣の邸宅で,庭園がウリだったそうですが,この歌を詠んだ頃には死後百年ほど経過していて庭も家も荒れ果てて,しかし,清原元輔らが集まる「歌人サロン」のようになっていたそうです。ですので「自分の家」ではありません。


八重むぐら茂れる宿の寂しきに → 自分の家でない以外はkingstoneさんの解釈でほぼ合っていますが,最後に接続助詞(場所の格助詞という説もある)の「に」が下の句との関係で重要になります。

人こそ見えね → 「人」+係助詞「こそ」+「見ゆ」の連用形+打ち消しの助動詞「ず」の已然形(係り結びなので)なので「こそ」の係り結びの原則どおり「人こそ見えないけれど」と逆接の強調になります。

秋は来にけり → 「秋は」「来に」はいいですね。「けり」は回想の助動詞ですが,伝聞,過去,現在を問わず「今気づいた」「そういえばそうだ」という気持ちが含まれています。

ですので「幾重にも葎が生い茂るこの宿に(or だが),訪れる人はいないのだけど(そうだ,そういえば)秋は訪れたのだなぁ」という歌です。



もずらいとさん、どうもです。

>「河原院にて荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りける」
>清原元輔らが集まる「歌人サロン」のようになっていたそうです

荒れ果ててたところが歌人のサロンって面白いですね。
しかし、「みんなが集まる場所」ってなかなか探すのがたいへんだもんな。

>「人こそ見えないけれど」と逆接の強調

私は「順接」かと思ってました・・・
「人が来ないくらい寂しい(それにぴったりな)秋」という感じで。
恵慶法師は「秋は人がやってくるものだよ」みたいなことを前提として、逆接にしたのかな。

>「けり」は回想の助動詞

そうなんですか。
私は言わば英語で言う「現在完了」とか「過去完了」になるのかと思ってました・・・
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2014年11月21日のつぶやき










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2014年11月21日

11月21日(金曜日) 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな(曾禰好忠 )

 おはようございます。

 快晴。


由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな

 もう文法調べるの、今日はやめ。
 で、何も調べず解釈。

「(急流で名高い)鳴門海峡を渡る船人が舵を取るのをやめてしまえば、船がコントロールを失って、どこに行くかわからなくなる。それと同じようにどこに行くかわからない恋だよ」


曾禰好忠(そね の よしただ、生没年不詳)
   平安時代中期の歌人。出自については未詳。中古三十六歌仙の一人。
   官位は六位・丹後掾(じょう)。長く丹後掾を務めたことから曾丹後
   (そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。

   掾(じょう)ってのは国司の位ですね。
   Wikipediaを見ると、四等官として
   「守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等」となってます。
   ということは下から二番目の位が多かった、ということなのかな?


もずらいとさんのコメント

由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな

>「(急流で名高い)鳴門海峡を渡る船人が舵を取るのをやめてしまえば、船がコントロールを失って、どこに行くかわからなくなる。それと同じようにどこに行くかわからない恋だよ」

 惜しい。

由良の門を → 「由良(丹後というのが定説)の海峡を」

渡る舟人 → そのままです。

かぢを絶え → ここが違います。「かぢを」は「梶(舵)を」ですが,「絶え」は自動詞「絶えす」の語幹,あるいは「絶ゆ」の未然形でもかまわないのですが,意味は「失って」であって「やめて」ではありません。

 先日の「あはれ」も

>で、「あはれ」って、今では「気の毒」とか「かわいそう」とかいう意味に使うけど、古典では違う意味なんだよ、とずっと言われてるってのが頭にあったのに、

と書かれてましたがそうじゃありません。良いことでも悪いことでも心を揺さぶられることを「あはれ」と言ったのです。それが後年になって良い方は「めでたし」とか「あはれ」の派生である「あっぱれ」とか他の表現がメインになったので悪い方限定になったのです。言葉を辞書的に解釈すると間違います。「絶え」も何かが途絶することを指す語であって「死ぬ」「やめる」限定ではありません。

ゆくへも知らぬ恋のみちかな → 上の句はこの序詞になっています。舵がなくなりゃどこに船が行くか分からないわけですから。解釈はkingstoneさんのとおりです。

ですので「由良の海峡を漕ぎ渡る船人が舵を失い漂うように,どうなるか予想もつかない私の恋路であるよ」という意味です。

 作者の曾禰好忠はあだ名の「そたん」を「そのうち『そた』にならないか」とおそれたという話と,頑固でKYでうぬぼれ屋でひがみっぽかったという人だったようで,どんな解説書にも呼ばれもせぬ歌会に粗末な服を着て現れて周囲がとがめると「歌詠みの会でそこらの人にひけなど取らぬ(自分が呼ばれないのはおかしいし,参加させないと格が落ちるよ)」と豪語してみんなに会場から放り出されたという逸話が必ず載っています。



もずらいとさん、どうもです。

>由良(丹後というのが定説)の海峡を

えっ・・・
てっきり淡路島の由良かと思いました。
そう言えば、鳴門海峡の方は由良じゃなくて福良だった・・・
由良は大阪府と和歌山県の県境の西に突き出た城ヶ崎と淡路島の海峡だった。

>言葉を辞書的に解釈すると間違います

何度ももずらいとさんから言われてますが、
これがなかなかむつかしいっすね・・・(ためいき)

>呼ばれもせぬ歌会に粗末な服を着て現れて

ドレスコードを破ってたわけですね。
しかしすごい自信だなあ・・・

>参加させないと格が落ちるよ

ってのは。


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2014年11月20日のつぶやき
















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