私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年11月30日

11月30日(日曜日) 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ(大納言公任)

 おはようございます。

 快晴です。


滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

これも簡単そう。
解釈。
「(水が涸れ、流れが絶えて)滝の音は、聞こえなくなって長い時間が経つけれど、あなたを恋しているという私の名前は、ちまたに流れていき、みんなの噂になってしまった」


大納言公任(ふじわら の きんとう、966年ー1041年)
   平安時代中期の公卿・歌人。
   関白太政大臣藤原頼忠の長男。
   小倉百人一首では大納言公任。
   (やっと1000年代半ばまで生きた人が出てきた)

   逸話のところを見ると、いろんな逸話のある人なんだな。
   「『この辺りに若紫は居られませんか』と声をかけた」という
   話は聞いたことがあったな。


もずらいとさんのコメント

>「(水が涸れ、流れが絶えて)滝の音は、聞こえなくなって長い時間が経つけれど、あなたを恋しているという私の名前は、ちまたに流れていき、みんなの噂になってしまった」

 考えすぎです(^^)。

 上の句はそのとおりです。下の句はもっと素直な話です。

>名こそ → その往事の評判は
>流れて → 流れ伝わって 「滝」なので縁語の「流れて」を使っています。
>なほ聞こえけれ → 今でも聞こえてくるよ。「今もなお」の「なほ」です。滝の「音」なので「聞こえ」と縁語を使っています。

 ですから「この滝の水音は聞こえなくなって久しいけど,その名高い評判は今もなお伝わっていることだよ」という意味です。

 1・2句は「た」,3・4(「なこそ」「ながれて」とさらに「な」を増やしている)・5句は「な」で始まり,リズムを作っています。

 これは京都の大覚寺という嵯峨上皇の離宮にあった寺で,上皇の没後一世紀近く経って荒れてしまって昔は流れていた庭園の滝の跡を忍んで詠んだ句といわれています。



もずらいとさん、どうもです。

>考えすぎです(^^)

ありゃまあ、恋の歌じゃなかったんですか・・・
「忍ぶれど・・・」とか「恋すてふ・・・」とかの系列かと思ってました・・・


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2014年11月29日のつぶやき


































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2014年11月29日

11月29日(土曜日) 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな(儀同三司母)

 おはようございます。

 雨かな?
 路面はしっかり濡れていて、今、空からはどうだっただろう?


忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

 何も見ずに描いてみると
「忘れることのできないような(遠い)将来まで一緒にいられるというのは難しいので、今日だけの命を一緒に生きよう」

 みたいなことだと思うのですが・・・

まずは「ともがな」やな。

学研全訳古語辞典
と−もがな[連語]
   …としたいものだ。…であってほしい。

 ありゃ。
 いきなり違ってた。私は「共がな」だと思ってたけど、「ともがな」で「〜としたいものだ・〜であって欲しい」というなら全然意味が違う・・・

 あれ?でもだいたい解釈としては一緒かな?

「忘れてしまうような遠い将来まで一緒にいることができないのなら、(二人で会っている)今日、一日の命であって欲しい」


(たかしなの きし / たかこ、生年不詳 - 996)
   平安時代の女流歌人。女房三十六歌仙に数えられる。
   通称は高内侍(こうのないし)、
   または儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。
   前者は女官名、後者は息子藤原伊周の官名(儀同三司)による。

   (この人はちゃんと名前が伝わってるんだな)

   藤原道隆の妻。道隆は関白にまでなっている。
   藤原の道長は、道隆の弟。

   息子隆家は995年「長徳の変」を起こし、出雲の権守に左遷。
   それについていこうとしたが、許されず、その年に亡くなる。
   40台であったと推定される。

   (若くして亡くなってるなあ。ってかこのくらいで死ぬ人が多かったのかな)


もずらいとさんのコメント

>「忘れてしまうような遠い将来まで一緒にいることができないのなら、(二人で会っている)今日、一日の命であって欲しい」

 細かいところが違ってますね

忘れじの → 「許すまじ」と今でも使うように「じ」は打ち消しの助動詞です。それだけではなく,「忘れじ」は男言葉で「忘れないよ(君のことを)」という内容です。

ゆく末までは → ここはkingstoneさんの解釈どおりです。

かたければ → 「難ければ」で「難しいので」となりますが,何が難しいかというと「君のことをいつまでも忘れないという彼が本当にいつまでも心変わりしない」です。

今日を限りの → 今日を限りとして

命ともがな → 「もがな」は調べたとおり願望の終助詞なので「命であってほしい」と。自殺願望があるわけではなく「私を愛してくれているここで時が止まって欲しい。死んでしまえばそれが叶うのに」という意味です。

 ですので「私をずっと忘れないよというあなたが心変わりをしないで将来も私を愛し続けてくれるとは限らないので,今私だけを愛してくれる今日ここで命が絶えればいいのに」という歌です。

 儀同三司母は清少納言が仕えた中宮定子の母親です。女性なのに漢詩にも秀でていたそうです。なお,名前は「きし」と音読みするのが正しく,というのも「たかこ」かどうかは(多分そうだとは思いますが)分からないからです。今でもキラキラネームというのがありますが,平安時代も名の読み方は自由で「明子」と書いて「あきらのけいこ」と読ませたりしていますので。娘も「ちゅうぐうていし」ですから。もっとも,こっちは「さだこ」だと漢字は違いますが,違うイメージの方が強いので「ていし」のままの方が良いのかもしれません(笑)。



もずらいとさん、どうもです。

>何が難しいかというと「君のことをいつまでも忘れないという
>彼が本当にいつまでも心変わりしない」

わ・・・無常を言ってるのかと思ったら(まあ、無常と言えば無常だけど)、どっちかというと相手を責めてるんですね・・・そう考えると後半の文句もちょっと怖くなる・・・

>「さだこ」だと漢字は違いますが,違うイメージの方が強いので
>「ていし」のままの方が良いのかも

昔から「ていし、って変な名前だな」と思ってたんですが、時代を考えると、本当にそう呼んでいた可能性が高いわけですね。現在だと「さだこ」は・・・

posted by kingstone at 06:32| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月28日のつぶやき






















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2014年11月28日

11月28日(金曜日) 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る(右大将道綱母)

 おはようございます。

 まだ外は真っ暗。


嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

これは
「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを知ったよ」

だと思うのだけど。

でもって、これ、男の人の歌だと思ってたけど、「右大将道綱母」なんだなあ・・・女性が歌ってるんだ。


藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、936年? - 995年)
   平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘。
   『尊卑分脈』に「本朝第一美人三人内也(=日本で最も
    美しい女性三人のうちの一人である)」と書かれている
    が、尊卑分脈は間違いも多く真偽は不明。
   兼家との結婚生活の様子などを『蜻蛉日記』につづった。

   (いろいろな親戚の名前が上がってるけど、当時の有名人が
    網羅されてるなあ・・・すごく小さな世界で、がちっと固まって
    権力を維持していたってことやろな。しんどい話なんやろな)


もずらいとさんからのコメント

>嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
>
>これは
>「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを知ったよ」

 うーん,最後が違いますね。

嘆きつつ → 「(あなたが来ないことを)嘆きながら」
ひとり寝る夜の → 「「一人で寝る夜の」
明くる間は → 「夜が明けるまでの間(あいだ=時間)が」
いかに久しきものと → 「どんなに長く感じるものかを」
かは知る → 係助詞の「か」「は」で反語になります。ですので「知っているのでしょうか?いや知らないですよね」となります。

ですので「(「恋しい人がいない。寂しいな」と)嘆きながら、ひとりで寝ていると、夜が明けるまでの時間が、とても長い(と感じられる)ことを,あなたは知っていますか?いや知らないでしょうね」となります。

 右大将道綱母は日記文学の先駆け「蜻蛉日記」の作者としても有名で、この日記に夫の藤原兼家との話が出てきます。当時は一夫多妻制で,兼家はたくさん妻や愛人を持っていて,なかなか作者のところに来なかったようで,この歌は,珍しくやってきた兼家を「そんなに簡単に家に通してやるものか」と門を開けないでじらそうとしたら,とっとと違う妻の家に行ってしまいブチ切れた作者がその女の家(朝なのでまだ兼家はいる)に送った歌だそうです。



もずらいとさん、どうもです。

>かは知る → 係助詞の「か」「は」で反語になります。
>ですので「知っているのでしょうか?いや知らないですよね」となります。

ありゃ、私は「自分が知った」と考えたのですが、
相手(恋人)に「いや知らないですよね」と言ったわけですね。
しかし、それも趣ある恋の歌だ・・・と思ったら・・・

>ブチ切れた作者がその女の家(朝なのでまだ兼家はいる)に送った

全然ロマンチックやないやん・・・^^;

posted by kingstone at 05:55| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする