まだ真っ暗です。
なんか昨日は木枯らし一号が吹いたそうで。
私は今日、退院です。
お医者様から言われていた「最短」よりも1日早く退院できます。
これはありがたい。
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
この歌は、「山」と「風」で「嵐」になるね、という、なんかめちゃ説明的で、最初読んだ時は感心したけど、だんだん「面白くない」と思うようになってきてました。
goo辞書
「むべ」→「うべ」に同じ
うべ【▽宜/▽諾】[副]
《平安時代以降は「むべ」と表記されることが多い》
肯定する気持ちを表す。
なるほど。いかにも。むべ。
「山河のさやけき見れば―知らすらし」〈万・一〇三七〉
らむ助動詞四段型
《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。
@〔現在の推量〕今ごろは…しているだろう。
▽目の前以外の場所で現在起こっている事態を推量する。
A〔現在の原因の推量〕…(のため)だろう。どうして…だろう。
▽目の前の事態からその原因・理由となる事柄を推量する。
B〔現在の伝聞・婉曲(えんきよく)〕…という。…とかいう。…のような。
▽多く連体形で用いて、伝聞している現在の事柄を不確かなこととして述べる。
「秋に風が吹いて草木がしおれてしまう。なるほど、だから山風を嵐と言うのだろう」
Wikipediaを見てたら、この作者は面白そう。
文屋康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 885年?)
平安時代前期の歌人。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙・中古三十六歌仙の一人。
(六歌仙の一人なんや・・・で「卑官に終始した。」と書かれてるわけだが・・・)
小野小町と親密だったといい、三河国に赴任する際に小野小町を誘ったという。それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。のちに『古今著聞集』や『十訓抄』といった説話集に、この歌をもとにした話が載せられるようになった。
この歌を返した、ってことは「一緒について行った」と思ってしまうのだけど・・・
なんか、康秀も小町も、めちゃかっこいいと思ってしまう。
二人がいくつくらいの時だったんだろうか?
もずらいとさんからのコメント
ほとんどコメント不要ですね。付け加えるなら「吹くからに」の「から」は「言ってるそばから」のように「すぐさま」と言う意味です。なので「風が吹いたらすぐさま(草木がしおれてしまう)」ということになります。「嵐」は「荒らし」と掛詞という解釈がありますが,語源として「荒々しい風」を「嵐」といったのだと思います。
>なんかめちゃ説明的で、最初読んだ時は感心したけど、だんだん「面白くない」と思うようになってきてました。
そういう評価は当時からある歌です。紀貫之は文屋康秀を「詞は巧みにてそのさま身におはず(歌の技巧はたいしたものだが,そのような技巧に見合う人柄ではない)」とひどい評価を受けています。
またこの歌は息子の文屋朝康の作という説も強くあります。
もずらいとさん、どうもです。
コメント、いつもありがとうございます(^^)
>「吹くからに」の「から」は「言ってるそばから」
>のように「すぐさま」と言う意味
こういう私の調べが及んでいないことを教えて頂けるのが、めちゃありがたい。
>歌の技巧はたいしたものだが,
>そのような技巧に見合う人柄ではない
と酷評されるような人が、みんなのアイドルをかっさらって行った(行けたのか?歌を返してもらっただけなのか?)となると、いやあ、映画になるなあ・・・