早く、目覚めちゃった。
天気は・・・う〜〜んやっぱり暗くてよくわからない。
今日は痛かったり動けなかったり・・・ああ、やだな。
君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
光孝天皇(830年ー887年)
820年(819年説もあり)に空海が高野山に金剛峯寺を作ってる。
なお最澄が延暦寺を作ったのは788年。へえ。金剛峯寺の30年以上も前なんだ。
延暦寺は光孝天皇にとってはずいぶん昔にできたお寺で、金剛峯寺だってかなり昔にできたお寺だ、ってことになるな。
で、天皇になったのは、55歳の時(?なんか計算が合わないような・・・54歳じゃないだろうか?)。この頃ってすごく若い時に天皇になって、さっさと引退して院生を敷くのがはやりだったんじゃなかったっけ?結構遅くなってはるな。
歌の意味は字義どおりでいいんじゃないかな?
「あなたのために春(でも1月か2月か)の野で若菜を摘んでいます。雪が降ってきて、衣にも降りかかります」
で、まんまだと思うのだけど。
しかし、この歌の感じだと、衣につくとすぐ溶けるボタン雪じゃなくて、粉雪みたいな気もするけど、京都で粉雪は降らないかな。それに粉雪が降るほど寒かったら、若菜積みなどできないか・・・
以前、「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」で、いくらなんでも天皇が苫の小屋には入らないだろう、という話がありましたが、若菜積みはレジャーとしてしてはったんじゃないかなあ。楽しいものね。
もずらいとさんからのコメント
>天皇になったのは、55歳の時(?なんか計算が合わないような・・・54歳じゃないだろうか?)。
数え年なのでしょう。
>君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
「君」はこの場合相手に対する敬称であり「天皇」を指すわけではなく,普通に考えれば恋愛対象の「あなた」でしょうね。「降りつつ」の「つつ」は今でも「○○をしつつ」とあるように「継続中」を示す接続助詞です。意味は
あなたのために(あえてこの雪の降っている)春の野に出て若菜(春の七草)を摘んでいます。その私の衣に雪が降り続けてます。
といったところです。相手との関係性が良好でないと少し押しつけがましい歌になってしまいますが,良好であれば相手は「それほど私のことを思ってくれるなんて」となるわけです。
親王の時の歌とされていますが,親王であっても自ら野に摘みに行ったわけではないであろうとされています。でも,このように自分が摘んだと歌うのは表現法としてアリですので,実際に摘んだかどうかで評価が変わるものではありません。
もずらいとさん、どうもです。
>普通に考えれば恋愛対象の「あなた」でしょうね
Wikipediaを見てみたら、ものすごい数の「関わった女性」がいるみたいですね・・・
>実際に摘んだかどうかで評価が変わるものではありません
もちろん、作品としての価値はそうなんですが、実際に若菜を摘んでないなら、ご本人がつまんないだろうな、と・・・しかし、それは庶民の感慨かな・・・
>実際に若菜を摘んでないなら、ご本人がつまんないだろうな、と・・・しかし、それは庶民の感慨かな・・・
庶民云々ではなく「こういうシチュエーション」を「想像しながらイメージを膨らます」のも和歌の楽しみなのです。
もちろん、作品の価値を左右するものでは無いですね。
でも、若菜も実際に摘めたほうが楽しいだろうになあ、という感慨です。