私の関わりのある法人
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 あくまでも、私個人の意見です。

2014年10月13日

10月13日(月曜日) 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも(阿倍仲麻呂)

 おはようございます。

 雨はちょっと降ったりやんだりで、今は降ってません。
 でも風が一晩中ひどかった。
 しかし、本番は今日の午後2時以降、つまり6時間はたってからという・・・
 

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

阿倍仲麻呂(698年- 770)72歳で亡くなったんやな。しかも唐で・・・以下Wikipedia
 717年多治比県守が率いる第9次[4]遣唐使に同行して唐の都・長安に留学する。同次の留学生には吉備真備や玄ムがいた。
 唐の太学で学び科挙に合格し[3]、唐の玄宗に仕える。神亀2年(725年)洛陽の司経局校書として任官、神亀5年(728年)左拾遺、天平3年(731年)左補闕と官職を重ねた。仲麻呂は唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白・王維・儲光羲ら数多くの唐詩人と親交していたらしく、『全唐詩』には彼に関する唐詩人の作品が現存している


 すごい人なんや。

 死去した後、彼の家族が貧しく葬儀を十分に行えなかったため日本国から遺族に絹と綿が贈られたという記述が残っている。

 記事を読んでいると、どんどんえらくなったように読めるのだけど、「家族が貧しかった」というのはお給料が安かった、ということなのかな??


 この歌は私は移動している時(徒歩?船に乗ってて?)、ふと振り返りながら見上げると、春日の三笠山の上に月が上がってくるところだ。(月は満月に近くたいへん美しい)

 というようなイメージがわくのですが。

goo辞書
ふりさけ・みる【振り▽放け見る】
   [動マ上一]振り仰いで遠方を見る。
   「天の原―・みれば春日なる三笠の山に出でし月かも」〈古今・羇旅〉


もずらいとさんからのコメント

 この歌は詠んだ時の様子が比較的分かっています。阿倍仲麿(百人一首ではこちらの表記を使います)は唐で科挙にも合格し三十年以上,唐の役人として勤めていたのですが,望郷の思いが募り遣唐使の帰りの船で帰国しようとしたところ,仲間が送別の宴を開いてくれ,そのとき詠んだ歌とされています。
 「ふり」というのは「そぶり」「振り返る」「振り袖」で分かるように,なんらかのアクションがあったことを示す接頭詞」です。「かも」は詠嘆の終助詞で,今でも「それっていいかも」と使われますね。歌の意味は

 (宴の中)天空を大向こうに見渡すと,(故郷の)春日にある三笠山から見るのと同じ月が出ていることだよ。

 阿倍仲麻呂は科挙に合格し,地方の総督などに赴任しているので,普通だったら口利き料や賄賂やなんやが入りますので大金持ちのはずです(地方に赴任しないとこういうことはできません。地方に行きたい時の上司への決まり文句は「病気の父を抱え薬代がかかりまして」だそうです)。「貧しかった」というのは当時の香典の決まり文句とかルールなのでしょうか?これは分かりません。



もずらいとさん、どうもです。

>「ふり」というのは「そぶり」「振り返る」「振り袖」で分かるように,
>なんらかのアクションがあったことを示す接頭詞」

 そうか。
 今でも「ふりかぶる」とかもありますね。

>(故郷の)

 なるほど。
 この歌はすごく「写実」なんだけど、「春日の山」となると「写実」ではなくなっちゃう。
 でも(故郷の)と「同じ」を付け足せば、ちゃんと「写実」になるわけだ。

>「貧しかった」というのは当時の香典の決まり文句とかルールなのでしょうか?

 あっ、そういうことも考えられるのですね。
 
 ちょっとずれるかもしれませんが、私が小学校の通常学級の教師をしていた時、地元の歴史を知る(小学校4年生)授業で御坂サイフォンを取り上げました。

 明治24年に遠方の川から山を越えて、台地の田んぼに水を引くための大工事でした。

 御坂サイフォン(Wikipediaより)
 足下の山から谷へおりていくところですが、よく見ると、谷を越え、向こうの山を登って敷設されていることがわかります。

スクリーンショット 2014-10-13 10.24.39.png

 で、私が今、勤務しているあたり、稲美町(稲が美しいという稲作を重視していたのがよくわかる地名)の地元の住民がお金を出しあって作りました。
 で、私は当時の新聞を調べたのですが、「この工事で苦労した」「借金でたいへんだった」という話ばかりが記事になっていて、「水不足が解消されて良かった」という記事はひとつもなし・・・

 でも、今、ぱっと通り過ぎただけでも、「豊かな地」という感じはするのですね。現在は稲作が豊かでも、困ることはいろいろあるだろうけど、当時はいろいろ良かったこともあったのでは、と思います。

 まあ、外から見て良さそうでも、内情はたいへん、ということなのかもしれませんが、例えばテレビの街頭インタビューでもみなさん口を揃えて「生活が苦しい」「値上がりしてたいへん」とか言われてるけど、その人たちの外見を見る限り、あまり苦しそうじゃなかったり・・・

 なんかそれこそ「決まり文句」的に、苦労を強調する、ってのがあるのかなあ、と。


もずらいとさんからのコメント

追記です。阿倍仲麻呂はこの歌の後の船が難破し,結局唐の地で客死しました。


 亡くなった時の様子から、現地で妻子ができていたことがわかりますね。
 仕事もあり、妻子もいる。それでも日本に帰りたかったんだ。

posted by kingstone at 07:45| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月12日のつぶやき




























































































































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする