割と高目に浮かぶ雲がたくさん・・・曇りかなあ・・・
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ(山部赤人)
Wikipediaより
田子の浦、田子ノ浦(たごのうら)は、静岡県富士市一帯の海岸である。
歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。
当時の人でも「観光で海に出る」みたいなことをしてたんだろうか?
何か、そういう「遊覧船」みたいなものがあれば、船で遊んだ時の富士山の情景を描いた、と非常にわかりやすい歌になりますが。
あ?船で沖から見てるのじゃなく、「(砂浜に)うち出でて」いるのかな?
砂浜でも普段内陸部で過ごしている人にとっては「うち出でる」場所なのかも。
もずらいとさんからのコメント
船ではなく,浜に出たのでしょうね。で「山部赤人」ですね。この歌は万葉集に収録された時は
田子の浦ゆうちいでてみればま白にぞ富士の高嶺に雪はふりける
でした。「ゆ」は「from」「〜から」の意味の格助詞なのですが,和歌限定で平安の頃には使われなくなった言葉です。「より」の文語限定表現なのかもしれません。万葉調は素朴なのが良いのですが,百人一首の頃はそれだと「ダサい」ので,ストレートな「ま白にぞ」は「白妙の」に,単に情景を詠んだ「ふりける」は想像を働かせる「ふりつつ」(田子の浦から富士山頂付近の降雪を目視できるはずがないので,「降っているんだなぁ」となるわけです)にと改作されています。
当時は「オリジナルを尊重して一字一句変えない」という発想はなかったので,百人一首の万葉時代の歌はけっこう改作されています。
奈良や京都に都があって,琵琶湖の東なんて異郷に近い時代だったはずなのに,富士山は別格だったのでしょうね。
田子の浦からの富士山の写真がありました。
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