私が見たところ、曇りか晴れか微妙なところです。
青空も少しあるけど、雲がいっぱい・・・
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
柿本人麻呂(660年頃 - 720年頃)
Wikipediaによると
人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
朝廷のわりとえらいさんだったのかな?
明石には、柿本人麻呂が旅の途中で一服した地、の石碑があったり、人丸という地名のところに柿本神社というのがあったりします。明石天文科学館の北側(山側・上側)にあたります。
あれ!?どのWikipediaの項目か忘れたけど、この地名の「人丸」は「人麻呂」から来てるんだ。
そうかあ、不思議な地名だなあ、と思ってましたが、納得。
たいていの解説書には「あしびきの」というのは「山という言葉を出すための枕詞である」と書かれていて「意味はない」とまで書かれていることも多いです。
私は昔からこれが不思議でしかたがありませんでした。いや確かに後代だと「山」を出すために意味なく「あしびきの」が使われたかもしれないけど、最初は何か意味があったに違いない、直接その歌には関係なくても、意味はあったろう、と思うので。
例えば、今だと
「そうはイカのきんたま」
「おそれいりやの鬼子母神」
とかが、似たような用法(?前者は違うか・・・)だと思うのですが。
goo辞書
あしひき‐の【足引きの】
[補説]後世、「あしびきの」と濁る。語義には、足を引いてあえぎつつ登る意、山すそを長く引く意など諸説がある。
おお、ちゃんと意味あるじゃん。
で、
あしびき→山(鳥)→長い尾→そんな長い夜と、どんどん連想で関係無い言葉が出てくるわけだから、やっぱり「そうはイカのきんたま」みたいなもんじゃないかな。
で、結局、これは恋の歌?
もずらいとさんからのコメント
柿本人麿は宮廷歌人で冠位はたいしたことなかったようです。この歌は万葉集では詠み人知らずで,他の人麿の歌とかなり作風が違うので他人の歌だろうとされています。と言うのも,完全に古今調なんですね。
歌の意味は「山鳥の尾くらい長い夜を一人で寝て過ごさないといけないなんて」と単純ですが,
・「あしびきの」は山にかかる枕詞ですが一歩ひねって「山鳥」にかけいている
・さらに「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」と上の句全部使って「ながながし夜」の序詞にしている。
・「山鳥」は「夫婦仲の良い=つがいでいるのが当然」ということで,「ひとりかも寝む」の悲哀をを強調している。
・上の句の脚韻は全て「を」である。
・押韻は1・2・4がア行,3・5がイ行でリズムを作っている。
と技巧凝らしまくりです。定家の時代だと「すばらしい」となります。なので選ばれたのでしょう。
枕詞は意味があります。ただ,時代が下がってその意味が分からないものが大半なだけです。「あしひきの」はたぶん,山を登ると疲れて足を引きずったということなのでしょう。元々和歌は謎かけとダジャレのオンパレードで,「お芸術」ととらえる近代の方が異端なのです。
蛇足ですが,「人麿神社」は火除けの神様とされています。これも「ひとまる=火止まる」のダジャレから来ています。和歌の精神としては正当な考え方です。
もずらいとさん、どうもです。
>枕詞は意味があります
そうですよねえ。昔から「枕詞だから意味は無い」みたいに教えられたような気がするのですが、そりゃあ変だよなあ、と思ってました。
>元々和歌は謎かけとダジャレのオンパレードで,
>「お芸術」ととらえる近代の方が異端なのです。
なるほど。
もともと「言葉遊び」なわけですね。
で、「だからダメ、しょうもない」ってことは無いわけで、変に「お芸術」にのみ価値を見るのが変なんですよね。
>これも「ひとまる=火止まる」のダジャレから来ています
わははは。
もずらいとさんからの2つめのコメント
>もともと「言葉遊び」なわけですね。
江戸時代の俳諧連歌は落語の大喜利みたいなもので謎かけとダジャレがその生命線みたいなものだったのに,「お芸術志向」になってすれましたるでも,前の人が詠んだ句に瞬時に反応しないといけないのですから,大喜利そのものなんです。
>江戸時代の俳諧連歌は落語の大喜利みたいなもので
うんうん。
やっぱり面白くなきゃあなあ。
>前の人が詠んだ句に瞬時に反応しないといけないのですから
で、やっぱりプロの俳諧師と、旦那衆では、瞬時か間が開くかで差があったんだろうな。