※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年10月23日

10月23日(木曜日) ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは(在原業平朝臣)




 おはようございます。

 まだ外は真っ暗です。

 痛み・下痢・発熱のトリプルパンチでしたが、少し落ち着いたかな。



ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは


 これは昔、竜田川という相撲取りがいて・・・違う・・・


 この歌は在原業平。
 一つ前の歌が中納言行平だから、兄弟で歌が並んでるんだ。


学研全訳古語辞典
ちはや−ぶる 【千早振る】
   分類枕詞
     @荒々しい「氏(うぢ)」ということから、
      地名「宇治(うぢ)」にかかる。「ちはやぶる宇治の」。
     A荒々しい神ということから、「神」および「神」を含む語、
      「神」の名、「神社」の名などにかかる。

 なるほど、「ちはやぶる」にもちゃんと意味があるんや。
 で「荒ぶる」に感じが似てるなあ、と思ってたら、やっぱり似たような意味があるんだな。


こちらはWikipediaから

    鮮やかな濃い紅色のことで、深紅の色を指す。
    紅色の美称としても使う。
    古くは韓紅の表記が主で、定説は朝鮮半島の
    「韓から渡来した紅」より舶来の意味とされるが、
    別の説もある。韓紅花と表記する事も多い。

「荒々しい神の時代にも聞いたことのないような不思議なことが起こったよ。竜田川が深紅に染まり、川の水が括り染めになってしまったよ」

か。

「くくりぞめ」ってのは「しぼりぞめ」「鹿の子絞り」なんかと同じかな?

もずらいとさんからのコメント

 意味はほとんどそのとおりですね。付け加えるとしたら,深紅に染まったのは「紅葉で」いうくらいです。
 また,この時代になると「ちはやぶる」は枕詞として元の意味は重視してないので「荒々しい」と直訳するのではなく「いろいろ不思議なことが起きた(神話の時代でも聞いたことがない)」と意訳します。「枕詞は意味がないので訳さなくていい」と教えるのは古今集の時代には,実際わざわざ訳すほどの意味がなかったからです。なお「ちはやぶる」は「千+荒ぶる」という説があります。「すごく荒々しい」ということで,昔の神様というのは雷とか台風とか大雨とか荒々しい存在だったのでしょうね。
 この歌は二条后(清和天皇の皇后)の東宮の御息所に呼ばれた際に,屏風の紅葉が流れる龍田川の絵を見て即興で詠んだものだそうです。
 落語の「千早振る」は昔の歌には濁点と半濁点がなかったことをうまく利用しています。落語の方だと
 千早振る,神代も聞かず龍田川,から呉れないに,水くぐるとは
となります。つまり「ちはやぶる」→「ちはやふる」,「くくる」→「くぐる」です。


もずらいとさん、どうもです。

>この時代になると「ちはやぶる」は枕詞として元の意味は重視してない

 9世紀というと、もうとんでもない大昔ですが、「ちはやぶる」という言葉が作られた頃からすると、すごく時間がたってるんですね。確かに、今から200年ほど前の江戸時代の文は、私には意味がとれないところがたくさんあるし。

>昔の神様というのは雷とか台風とか大雨とか荒々しい存在だったのでしょうね

 今でも最近あちこちで起きた災害を「荒々しい」と思いますが、当時だともっともっと荒々しくて、ほんと神様に頼るというか、許しを乞う(?)しかなかったのでしょうね。

>落語の「千早振る」は昔の歌には濁点と半濁点がなかったことをうまく利用

 ははあ。
 言われてみればそうやなあ。

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2014年10月22日のつぶやき






































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2014年10月22日

10月22日(水) 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む (中納言行平)

 おはようございます。

 真っ暗で天気はわかりません。

 治療後なので、昨夜はいつもの薬が飲めず。
 すると、あまり眠れず、また「いくら努力しても物事が悪い方へ行く」系の悪夢(?まではいかないけど)を見ました。
 で、前回はめちゃ痛かったのが、今回は全然痛くないなあ、と思ってたのが、ちゃんと痛くなってきた・・・^^;


立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む

 この歌は昔から、「技巧がとってつけたようで面白くない」と思ってました。

「立ち別れいなばの山の峰に生ふる」で「松(待つ)」を引き出してくるわけだけど・・・
(で、「立ち別れ」と別れてたことも出てくるし)

「待ってると聞いたので帰って来たよ」

それこそ「押し付けがましい」と言うか、すけべ親爺の顔が浮かんで来るというか・・・
権力のある者の傲慢さを感じてしまう。

しかし「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 」だと、そんな押し付けがましさは感じないなあ。

Wikipediaによると

在原 行平(ありわら の ゆきひら、818年 - 893年)
   平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男(または三男)。
   在原業平の兄。
   (へえ、業平のお兄ちゃんか)
   当時の藤原氏以外の官吏としては、比較的順調な昇進ぶりを示し、
   特に民政に才を発揮した。
   (天皇の孫でも、藤原氏にはたいていは出世で負ける、ってことか・・・)

 この歌について「現代において、いなくなった飼猫の帰還を願う猫返しのまじないとしても、伝えられ親しまれている」だって。


もずらいとさんからのコメント

 この歌も技巧が凝らされてます。この歌は在原行平が因幡守に任じられて送別の宴で歌ったとされています。

立ち別れ→「もうお別れの時です」という意味です。「立ち」は「別れ」を強調するための言葉です。
いなばの→これは任地の「因幡国」とそこにある山の「稲羽山」と「往なば(行ってしまったら)」の三つが掛詞になっています。
まつ→「松」と「待つ」の掛詞です。

 意味としては「もうお別れの時で行かねばなりませんる(しかし)因幡国の稲羽山に生える松ではありませんが,あなたが「待っています」といってくれれば,私はすぐにでも帰ってきましょう」

実際にはすぐに帰ってこられるわけはないので,「必ず戻ってきますからそれまで私を忘れず待っていてください」という気持ちを歌にしたということです。



もずらいとさん、どうもです。

>在原行平が因幡守に任じられて送別の宴で歌ったとされ

>実際にはすぐに帰ってこられるわけはないので

 なるほど。
 特定の女性に向けて
「お前のために帰ってきたよ」
という歌ではなく、送別会の時にみんなに向けて
「みんな、帰って来るから、待っててね」
という気持ちを詠んだ歌なんですね。

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2014年10月21日のつぶやき








































































































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2014年10月21日

10月21日(火曜日) 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ (光孝天皇 )

 おはようございます。

 早く、目覚めちゃった。
 天気は・・・う〜〜んやっぱり暗くてよくわからない。

 今日は痛かったり動けなかったり・・・ああ、やだな。


君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ

 光孝天皇(830年ー887年)

 820年(819年説もあり)に空海が高野山に金剛峯寺を作ってる。
 なお最澄が延暦寺を作ったのは788年。へえ。金剛峯寺の30年以上も前なんだ。
 延暦寺は光孝天皇にとってはずいぶん昔にできたお寺で、金剛峯寺だってかなり昔にできたお寺だ、ってことになるな。

 で、天皇になったのは、55歳の時(?なんか計算が合わないような・・・54歳じゃないだろうか?)。この頃ってすごく若い時に天皇になって、さっさと引退して院生を敷くのがはやりだったんじゃなかったっけ?結構遅くなってはるな。

 歌の意味は字義どおりでいいんじゃないかな?
「あなたのために春(でも1月か2月か)の野で若菜を摘んでいます。雪が降ってきて、衣にも降りかかります」
で、まんまだと思うのだけど。

 しかし、この歌の感じだと、衣につくとすぐ溶けるボタン雪じゃなくて、粉雪みたいな気もするけど、京都で粉雪は降らないかな。それに粉雪が降るほど寒かったら、若菜積みなどできないか・・・

 以前、「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」で、いくらなんでも天皇が苫の小屋には入らないだろう、という話がありましたが、若菜積みはレジャーとしてしてはったんじゃないかなあ。楽しいものね。


もずらいとさんからのコメント

>天皇になったのは、55歳の時(?なんか計算が合わないような・・・54歳じゃないだろうか?)。

 数え年なのでしょう。

>君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ

 「君」はこの場合相手に対する敬称であり「天皇」を指すわけではなく,普通に考えれば恋愛対象の「あなた」でしょうね。「降りつつ」の「つつ」は今でも「○○をしつつ」とあるように「継続中」を示す接続助詞です。意味は

 あなたのために(あえてこの雪の降っている)春の野に出て若菜(春の七草)を摘んでいます。その私の衣に雪が降り続けてます。

といったところです。相手との関係性が良好でないと少し押しつけがましい歌になってしまいますが,良好であれば相手は「それほど私のことを思ってくれるなんて」となるわけです。
 親王の時の歌とされていますが,親王であっても自ら野に摘みに行ったわけではないであろうとされています。でも,このように自分が摘んだと歌うのは表現法としてアリですので,実際に摘んだかどうかで評価が変わるものではありません。



もずらいとさん、どうもです。

>普通に考えれば恋愛対象の「あなた」でしょうね

Wikipediaを見てみたら、ものすごい数の「関わった女性」がいるみたいですね・・・

>実際に摘んだかどうかで評価が変わるものではありません

もちろん、作品としての価値はそうなんですが、実際に若菜を摘んでないなら、ご本人がつまんないだろうな、と・・・しかし、それは庶民の感慨かな・・・


>実際に若菜を摘んでないなら、ご本人がつまんないだろうな、と・・・しかし、それは庶民の感慨かな・・・

 庶民云々ではなく「こういうシチュエーション」を「想像しながらイメージを膨らます」のも和歌の楽しみなのです。



もちろん、作品の価値を左右するものでは無いですね。
でも、若菜も実際に摘めたほうが楽しいだろうになあ、という感慨です。
posted by kingstone at 01:35| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする